彼岸前の剪定

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広い境内には植木がイッパイ!

 「暑さ寒さも彼岸まで」、と言い、もうすぐ秋の彼岸を迎え様としてますが、暑さも和らぐ事と期待されます。

 先日より、お寺の依頼で、植木の剪定を任されました。お彼岸を迎えるにあたっての準備です。

 広い境内には代々古くからの植木が沢山植え込まれており、中には高い木もあり、脚立を立てても届かないような木が数本有ります。そのすべての剪定作業です。

 日にちがかかる事間違いなしです。Hikoさんは意を決して剪定作業に望みました。

  彼岸前とは言え、境内に撒かれた砂の照り返しも手伝い、暑さの中での数日間の作業は、まさしく修行を科せられたかの如く、暑さとの戦いでした。

 同業者の応援も得て、事故も無く、この程やっと終了したところです。

 まだまだ気は若い筈のHikoさんも、さすがに作業終了と同時に疲れがどっと出たようです。久しぶりに温泉にでも行きたい気持ちです。

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山門の脇にも、えらいお坊さんの銅像の周囲にも沢山の植木が有ります。

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剪定作業状況、つかの間の休憩中に撮った物です。(トリミングしてます)

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戦場のニコンF

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ニコンFブラックモデル ニッコ-ル50mm F1.4装着

 M型ライカの登場によって、レンジファインダ-カメラを諦めざるを得なくなった、日本のカメラメ-カ-は、こぞって一眼レフの開発に力を注ぐようになりました。

 なかでもニコンが開発に成功したNikon Fは、戦場での酷使にも耐えうる程の堅牢かつ精巧に出来た世界の名機で、一眼レフの王者として君臨する事になります。

 戦争カメラマンとして有名な一ノ瀬泰造氏も、1972年3月、このニコンFを携えて、ベトナム戦争のあおりうけ泥沼化した当時のカンボジアに潜入し、内戦の状況を取材し続けました。

 彼は、アンコ-ルワット遺跡を目前にして、若くして(26歳)非業の死を遂げる結果になったのですが、その遺品の中から、膨大な撮影済みのフィルムが発見され、佐賀県武雄市の両親の元に送り届けられました。

 両親は悲しみの中、彼の意思を継ぐべくして写真の整理に取り組み、くる日も来る日もフィルムの現像をし続け、一冊の写真集に纏めあげたのです。

 「遥かなりわがアンコ-ルワット」がその写真集です。

 この写真集は店頭に並ぶことなく、是非という人にご両親が直に販売された物で、Hikoさんも早速そのご両親のもとへ連絡して入手致しました。

 写真集の内容は素晴らしく、目を見張る物ばかりで、なかには、UPI通信社ニュ-ス写真月間最優秀賞を受賞したと言うものも有ります。

 或る時は、頭越しに撮影しようとしたカメラは銃弾に撃ちぬかれ、戦地の過酷さを物語っています。

 この過酷な条件下での取材にも耐えうるニコンFは、世界の名機と呼ばれるに相応しい、日本を代表するカメラと言っても過言ではないでしょう。

 なお、このニコンFは1959年に世に出てから、生産が中止された1974年までの15年間にも及ぶロングセラ-でした。

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銃弾に打ち抜かれたNikon F (写真集より)

Img_412425セルフタイマ-レバ-の直ぐ横、銃弾が貫通した穴が確認できます

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UPI通信、月間最優秀賞に輝いた映像! 写真集「遥かなりわがアンコ-ルワット」より

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町の溶接屋さん

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 植木の剪定には欠かせないのが脚立です。以前は鉄製で重くて取り扱いには大変苦労しましたが、最近はアルミ製が主流で、狭い木立の間でも容易に移動する事が出来るようになりました。

 この脚立も本職に酷使されると、傷みがきます。このほど、その一部が折れて外れた状態になってしまったので、修理する事になり、時折お願いしている工場に持ち込む事にしました。

 この工場と言うのは、直方市の商店が立ち並ぶ一角に有る、ちいさな町工場で、おやじさんが一人で切り盛りしています。

 ここのおやじさんの溶接技術は確かなもので、持ち込んだ脚立を見るまに仕上げてくれます。

 かっては石炭産業で繁栄したこの町は、その名残でしょうか、町工場は今でも町のそこここに点在しています。

 後継者不足はここでも伺えます。この溶接屋さんが健在のうちはいいんですが、仕事が出来なくなると直ぐに不自由を感じます。健康で何時までもいい仕事をして頂きたいと祈る気持ちです。

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伸びた松の芽

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庭の松の芽もだいぶ伸びてきて手入れをしなければならない時期がやってきました。

伸びた芽の脇から松葉が出始めたころが好期です。

この松はまだ少し早いようですが、来月に入ればそろそろ手入れをしなければなりません。

今時期の松(黒松)の手入れと言うのは、この伸びた芽を付け根から丁寧に切り取ることですが、その際、全体が均等になるように整理しながら摘み取ります。

この切り取られた部分から新しい芽が出てきますので、これを育てることになります。

今、この芽を摘み取らなかったらどうなるか?

芽はだんだん成長してやがて松葉が出ます、この松葉は長くなり自然に生息している松のように足の長いモジャモジャ松になってしまいます。

黒松は芽を一度止めることにより、その成長を押さえ、整った短めのそろった松葉を保つことが出来るのです。

最初はたぶん、虫が新芽を食って、次に出たのが丁度いい具合だったのにヒントを得たのではないでしょうか。

と言うことは、最初に松を手入れしたのは虫ということになります。

自然は偉大なアドバイザ-であり先生でもあります。

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オ-ト三輪

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大分県高田市の昭和の町に展示してある、ダイハツのオ-ト三輪車丸ハンドルです。

このタイプが出たのはHikoさんがまだ高校生の頃だと記憶しています。

当時、筑豊地区ではまだ石炭産業が盛んで、Hikoさんの親戚でも石炭に関わった仕事をしていたので、石炭の運搬にこのタイプの三輪車を所有していました。

当時は16歳で三輪車の免許が取得できるということから、機械好きのHikoさんは、学生のみでありながら、本気で免許を取ろうと近くの学校のグランドに試験コ-スを書いて練習したことがあります。

結局は周囲の猛反発で断念せざるを得ませんでしたが・・・・・

今思えば懐かしくさえあります。

と、いうことで、このタイプの三輪車には思い出がいっぱい詰まっています。夏休み、冬休みは、いつも小遣い稼ぎのバイトで、石炭の積み込みをし、助手席に乗って運搬してまた手おろし、そのあいまにコッソリ乗って運転したこともあります。

昭和の町に行ったときも当時の感触を確かめるように運転席にチョット乗って見ましたが、青春が一瞬よみがえった様な錯覚を覚えました。

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若戸大橋のある公園

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紅色が映える戸畑側からの若戸大橋です。あたかもこの公園の遊具の様に公園の近くに有ります。

最近、月に一度は仕事でこの公園に来ますが、いつもはくすんで見えるこの橋も、この日はまれに色が冴えて綺麗だったので仕事の合間に、思わずシャッタ-を押してしまいました。

公園の向こうの家が遮ってここからは見えませんが、その先はすぐ海が広がっています。洞海湾です。

近くには渡し場があって、この若戸大橋が架けられる前には若松側へ小さな渡し舟で渡ったのを覚えています。

若松と戸畑の象徴的存在の若戸大橋は、遠く県外に出稼ぎに行って、やむなくそこに住み着いた友人達も、これを見ると懐かしく思い出してくれるに違いありません。

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風車のある風景

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この週Hikoさんは仕事で若松・戸畑に毎日通っています。

山坂の多い仕事現場は高台に有ったりするので、行くまでは大変ですがその展望は素晴らしく、この日は風車の見える丘にやってきました。

雨上がりというと空気が澄んで遠望がきくのが普通ですが、工場の多いこの地区では、雨上がりの日でもどんよりしていて、なんだか霞がかかったようです。

それでも整然とならんだ風力発電のおおきなカザグルマは精一杯のクリ-ン対策の象徴の様にも見えます。

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Hikoさんの庭づくり(石組と植木)

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今から約30年前Hikoさんが30歳半ばで造った北九州市香月町にある庭の石組みとそれに組み合わされた植木の主要部分です。

3トンも有ろうかという瀧をイメ-ジした主石は苔むして、主木として使ってある木は大人が抱き回しても届かないくらいの大きさがあります。

当時は、大きい物は良いものとして好んで使われました。

石組みは若いHikoさんが組んだとあって、やはり若々しくもあり荒削りでもあります。しかし良し悪しは抜きでそれはそれで造った本人としては懐かしくもあり、思い出深いものがあります。

今は枝ぶりもよくなった後方にある大きな木はヤマモモが使われていますが、この木にはチョットしたエピソ-ドが詰まってます。

木を探しに熊本まで足を運んでやっと見つけた1本です。植えるのにも随分てこずった記憶があります。

なにしろこの庭は交通量の多い道路に面しているので、大型クレ-ンは据え付けられない為、積んで来たトラックから、じかにトラックに付いている小さなクレ-ンで降ろさねばなりません。あまりの重さに車体は傾き、植え穴めがけていきなり降ろして、其のまま植えつけたのを覚えています。

今思えば危険極まりない事を若さと勢いでやっていた様です。

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Hikoさんの庭づくり(つくばい)

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言うまでもなく、Hikoさんの庭づくりの続編です。枯れ流れの中に作られた「つくばい」ですが、「つくばい」を漢字で書くと「蹲」と書きます。文字から「うずくまる」と言う意味がありますが、つまりうずくまるような姿勢で使うと言うことのようです。

元はと言えば茶道の道具(設備)の一つですが、この庭においては実際に茶の湯の行事に使われるものでなく、その優美な石組みを庭の添景として使っております。

つくばいにも色んな形式があり、ここでは流れの中に据えられていることから、「流れつくばい」と呼ばれています。

ここの主役はなんといっても真ん中の手水鉢ですが、これまたいろんな形のものがあって、ここで使っているのは自然石が水などに浸食されることによって出来た窪みを利用して水鉢にしたもので、「水ぼれ石」と言います。

この「水ぼれ石」は数が少なく入手困難な貴重品でもあります。

樹木は刻々とその姿をかえていきますが、石組みにおいては後で手を加えられないかぎり、その姿は何年たっても変わることはありません。このつくばいの石組みも30年の年月を経ても、古色をおびてそのままの姿を維持しています。

辞書引用

つくばい つくばひ 0 3蹲/踞】

〔動詞「つくばう」の連用形から〕茶庭などに据える手水(ちようず)鉢。つくばって使うように鉢を低く構え、左右に湯桶(ゆおけ)・灯火を置く、湯桶石・手燭(てしよく)石を配し、使い手の乗る前石を据えるのが定式。茶室では心身の塵を払うものとして重視する。据え方により立ち使いの形式もある。

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Hikoさんの庭づくり(張石)

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昨日の庭造りの続きになりますが、これは門から玄関をつなぐアプロ-チを和風庭園に相応しく張石にしました。

文字で書くと簡単な漢字二文字ですが、この張石の作業がなかなか大変です。

まず石選びから始まりますが、下地を作って、重い石をパズルみたいに合わせて張っていきます。張るといっても置いて並べるだけではなく、合い口を合わせながら据え付けるのです。あとは石と石の間にモルタルを詰めます。

ここで使っている石は大分県安心院産の平べったい石を使っていますが、現在は安心院では産出していなくて入手できませんので、貴重な張石です。

これは腰に負担がかかりつらい作業ですが、出来上がったときの喜びは腰の痛さを忘れさせてくれます。

最近ではこうゆう細工仕事が少なくなり、培った技術も埋もれつつあります。

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Hikoさんの庭づくり

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この庭園はHikoさんがまだ若い頃に造ったものです。

北九州市の香月町に有ります。

造って以来ずっと手入れをしてきましたが、もう30年にもなり愛着もあります。

この庭の年老いたあるじが、先日不治の病とやらで入院してしまいました。

喜んで観てくれる人が居なくなった庭も心なしか寂しく思えます。

Hikoさんは先日庭の手入れにはいり、改めて30年まえの庭造りを検証してみましたが、30年前と言えばHikoさんはまだ若干30半ばです。

自分で言うのもおかしいですが、経験が浅いにもかかわらず、出来栄えはそれなりに良いようです。(自画自賛) (^^ゞ

庭づくりのブ-ムに乗って、材料もかなりの大物を使っていて、今では古色もおびて見栄えのする庭になっています。

現在はご子息の管理下にあって、あと何年手入れにはいれるか? Hikoさんもちょっと感傷的です。

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一網打尽

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「一網打尽」その意味は、辞書で調べると 、〔「宋史(范純仁伝)」より。網を一度打ってそこにいる魚を全部取る意〕一味の者を一度で全部つかまえること。

と有ります。

まさに一網打尽作戦が北九州市でも行われております。

松の木を食い荒らす害虫駆除のため、冬になる前に公園や街路の松の木に、寅さんの腹巻の様な、藁で出来たコモを幹に巻きつけるのです。

これは冬の風物詩としてテレビでもお目見えします。

地上1~1.5m位のところにコモを二つ折りにして、2箇所ほど縛りますが、上の部分は緩めに、下はしっかり縛って、寒さを凌ごうとする虫を誘い入れるのです。

春になる前にそのコモを外して焼却するのですが、越冬のために入った虫どもは、夜討ちにあったようなもので、まさに一網打尽と言うわけです。

Hikoさんもこの作業に携った虫ハンタ-の一員です。

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松の手入れ-2

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秋の黒松の手入れは、けっこう大変です。写真の松ノ木は上の部分は手入れ済ですが、下のほうはまだ残っております。

この時期Hikoさんは毎日のようにこの松の手入れを行っております。

この木はもう30年ほど前に中間市の太賀団地にHikoさんが植えたものですが、毎年2回の手入れを続けてきました。

手入れは上から下のほうへと行いますが、今日みっちり一日かけて、やっと半分が済みました。

6月に伸びてきた芽を一回切っておくと、そこから綺麗な新芽が沢山出てきます。秋にはその芽を整理しながら、古葉を落としていきます。

これが、なかなか手間のかかる大変な作業です。

最近は、手間のかかる松ノ木は植えない家が多くなってきました。

庭の仕事に限らず、日本古来の伝統技術が段々なくなってきています。

なんとも知れない西洋かぶれの日本人が多くなってしまった今、外国の人の方が日本古来の伝統技術に興味を示す人の方が多いように感じます。

ニッポン 大和魂はどこへ? 昨日、男たちの大和を見ました!!

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松の手入れ

Img_0078秋の 黒松の手入れはけっこう大変です。

Hikoさんはこの時期になると毎日のように、この手間のかかる大変な作業に取り組んでおります。

写真の松は中間市太賀団地に30年ほど前に植えた門掛け松です。

呼び方は門かぶり等ともいいますが、正しくは門冠松と言う様です。

松の手入れは上のほうから段々下のほうに向かって行います。

写真の松はまだやりかけで、上の部分は手入れ済みの状態です。

本日、みっちり一日かけて約半分が終了しました。あと一日分、作業が残っております。

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着工前の写真も撮っておいたのですが、写真では判りにくですが、上部がまだゴチャゴチャしてうっとうしい感じが判ると思います。

6月に伸びた新芽を切り落としておいたら、そこから次に出る芽は短くて綺麗な芽が沢山出ます。

やってみた経験のある人は「ウンウン」とうなづけると思いますが、秋はその沢山出た芽を整理しながら、古葉も落としていかなければなりません。

最近は松を植えて庭を造る家も少なくなってきました。

庭仕事に限らず、日本古来の伝統技術もだんだん衰退しています。

最近は伝統ある日本の文化を本当に理解せずに、なんとも知れない西洋かぶれがかっこいいと勘違いしている日本人が多いのには、涙が出ます。

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