最近、朝夕毎日のように歩いている、Hikoさんの散歩コ-スに真新しい表示板が設置されました。
何時の間にたてられたやら・・・・?
今朝方、小雨交じりのこのコ-スを歩く途中に気づいたのですが、何故?この様な表示板が必要かどうか理解しがたい内容のものです。
なんの目的?!、管理地を線引きしたような内容ですが、お役所の考える事は馬鹿げていて、開いた口もふさがりません!
多分、通路に草が生い茂って、歩行者の妨げになるとの苦情が、所轄違いの部署に入っての対応ではないかと考えられますが、ここからここは何処何処の管轄、 ここは、何処の管轄と明示したものでしょうが、これこそ無駄遣いの最たる物!
何も、こんな事しなくとも、窓口を一つにして、担当者に振り分ければ何と言う事は無いとHikoさんは考えますが・・・・
縦割り行政を象徴したような表示板 Canon PowerShot G9
Hikoさんが息を切らして、登る坂道は北九州市の管理?・・・ Canon PowerShot G9
Hikoさんにはドイツに住む友人が居ます。
彼とは高校時代からの親しい付き合いで、大学へ進み、卒業したかと思うと、何を思ったか、突然ドイツへ渡りました。
そのままズ~とドイツ暮らしで、最初のうちはドイツでの暮らしぶりを手紙に認めてよこしていましたが、最近は暫くご無沙汰でした。
それが昨日、突然、ドイツから便りが届きました!
エッ!と思いながらも、懐かしさいっぱいです!
A4サイズの便箋に、見覚えのある個性的な文字が端から端まで埋め尽くされているでは有りませんか・・・
内容は、東日本における大災害に関してのお見舞い文です。
国を離れて、客観的に見る日本の現状に、唖然とした様子がビッシリと綴られているのです。
津波による前代未聞の大災害、特に原発事故の恐ろしさは、日本で考えているよりもさらに深刻に捉えられているようです。
反面、日本人の秩序や辛抱強さに於いては世界でも類を見ないほどの素晴らしさなどと海外紙では絶賛されているとの事!
文面を一部紹介すると、
「・・・想像を絶する緊張下に置かれていながら、日本国民のすべてが、自制心を失わずきっちりと秩序を守り落ち着いてパニックにおちいる事無く、じっと苦しみ悲しみに耐えているということでした。辛抱強さでは世界でも定評のあるドイツ人ですら、その日本人の姿を驚異の眼差しで見守り、報道ごとに称えていました。・・・・・」
日本を離れて約半世紀、彼は、母国で起きたこの事態に度肝を抜かれたに違いありません。
煉瓦造りのア-チ越しに映し出された見事な紅葉は見る人には、あたかもア-ルデコ様式の寺院にはめ込まれたれたステンドグラスのような錯覚さえもおぼえさせる光景です。
このア-チは、南禅寺の境内を横切る琵琶湖疎水の水路橋梁の一部の様です。
寺の敷地内に取り込まれた水路はその名も「水路閣」と言う風に呼ばれている様で、こうなると、水路も寺の構造物の一部として、ありがたくもあり、これがまた紅葉との相乗効果は絶妙で、その景観は素晴らしいの一語に尽きます。
南禅寺の三門もさることながら、「水路閣」目当ての観光客も少なからず訪れていると想像できます。
当のHikoさんも、ここを訪れる機会が有ったならば、まずは水路閣目当てと行きたい所です。
立て続けに送られて来る京都の紅葉、本日は南禅寺からの中継です。それではリポ-タ-のコメントと共に画像を抜粋して・・・・・
岩倉実相院の帰り、夕方3時過ぎに南禅寺へ立ち寄り
紅葉をカメラに収めました。
南禅寺境内
南禅寺境内-3
縁側に寝っ転がっているのは、Hikoさんの高校時代の友人ですが、彼は当時から少しばかり変わっていて、成績はたしか・・・・・・あまり芳しくなかった様な気もしますが、何故か英語だけには力を入れていた様です。
教室ではHikoさんのすぐ横の席で、いつもバカを言い合っていました。
試験となると何故か答案用紙の答えが良く似ています。いや全く同じの時も有ったかも知れません・・・・・
その彼が外語大学に進んで、突然ドイツに行ってしまいました。行ってしまったと言う表現は、つまり、ドイツに住み着いたと言う事です。
若い時にはしょっちゅう便りをくれていましたが、ここ最近はその便りも途絶えてしまっています。
近々、高校のクラス会を開催するに当たって、彼のことを思い出しましたので、記事に取り上げる事にしましたが、この写真の日付は14.7.13.となっています。
生活習慣の違う異国暮らしが長く、日本の生活を懐かしく思ったのか、来るなりいきなり縁側の感触を確かめるべく寝転がったのです。
この日、数人の同級生に声を掛け、ささやかな歓迎会を開いたのですが、友人に会って喜び、日本での食事にまた懐かしがり、日本酒をチビリチビリ・・・・・じっくり味わうように飲んでいたのが印象的です。
ドイツツア-の話も出ていましたが、実現しないまま・・・・・・
今、彼はドイツで元気にやってるとは思いますが、今回のクラス会に出席するにはチョット遠過ぎる様です。
火縄銃を構えた若武者?でもなさそうですが・・・ 錦帯橋で有名な岩国のお祭り行事の一つにこのような出し物が有るそうです。これはその祭りの準備での火縄銃の撃ち方の練習風景で、写真はアマ無線の知人からの頂き物です。
鉄砲を発明した国は、ドイツとかイギリス等のヨ-ロッパのどこかの国と発想してしまいがちですが、それは違います。これはあまり知られてないと思いますが、実は現在活躍中の横綱朝青龍の故郷モンゴルだそうです。
モンゴルが元の時代に発明した物がヨ-ロッパに伝わり、それが鎌倉時代の日本にも伝わったと言うことです。
当時、ポルトガル人によって種子島に持ち込まれた鉄砲は、最初はベラボ-な値段でしたので2挺ほど買って、それを見本にして種子島の鍛冶職人の手によって初めて国産化されたそうです。のち、商人の手によって日本全土に広められ、和歌山県の根来、大阪の堺、滋賀県の国友などでも生産されるようになりました。
時の武将、織田信長はこの鉄砲にいち早く目をつけて、大量に買い込み、戦いに備えたと言う事です。
1618年長篠の戦いでの3段構え射撃作戦は有名で、武田信玄の息子、勝頼率いる無敵の騎馬軍団を徳川家康との連合軍で、壊滅させました。その時、信長、家康軍の鉄砲の数は3000挺とも言われております。
それを3段構えで1000挺づつ続けざまに発砲するのだから、たまった物ではありません。弾込めは熟練者で約25秒として、3隊が交代で撃つのだから、射撃間隔はやく8秒と言うことになります。勝敗は明白、織田軍の勝利です。
Hikoさんの友人で銃の愛好者もいますが、こういう古い鉄砲で野鳥を狙ってみるのも一味有りそうです。
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