ドイツの友人

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縁側に寝っ転がっているのは、Hikoさんの高校時代の友人ですが、彼は当時から少しばかり変わっていて、成績はたしか・・・・・・あまり芳しくなかった様な気もしますが、何故か英語だけには力を入れていた様です。

教室ではHikoさんのすぐ横の席で、いつもバカを言い合っていました。

試験となると何故か答案用紙の答えが良く似ています。いや全く同じの時も有ったかも知れません・・・・・

その彼が外語大学に進んで、突然ドイツに行ってしまいました。行ってしまったと言う表現は、つまり、ドイツに住み着いたと言う事です。

若い時にはしょっちゅう便りをくれていましたが、ここ最近はその便りも途絶えてしまっています。

近々、高校のクラス会を開催するに当たって、彼のことを思い出しましたので、記事に取り上げる事にしましたが、この写真の日付は14.7.13.となっています。

生活習慣の違う異国暮らしが長く、日本の生活を懐かしく思ったのか、来るなりいきなり縁側の感触を確かめるべく寝転がったのです。

この日、数人の同級生に声を掛け、ささやかな歓迎会を開いたのですが、友人に会って喜び、日本での食事にまた懐かしがり、日本酒をチビリチビリ・・・・・じっくり味わうように飲んでいたのが印象的です。

ドイツツア-の話も出ていましたが、実現しないまま・・・・・・

今、彼はドイツで元気にやってるとは思いますが、今回のクラス会に出席するにはチョット遠過ぎる様です。

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折も折とて・・・

折も折とて、blogに高千穂トロッコ列車掲載中、TV-NEWSで、高千穂鉄道存続の為の関係者会合のニュ-スが流れてきました。復旧が具体化しつつ有るように思えます。

以心伝心、やっぱりHikoさんの執念とでも言うべき高千穂鉄道に対する思いが天に通じてか?・・・ Hikoさんパワ-と言えば大げさですが、blog掲載とタイミングがドンピシャリ! Hikoさん自身も驚きのNEWSでした。

駅に掲げた「歓迎」の看板も、また日の目を見る日も近いことでしょう。

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鉄砲伝来

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火縄銃を構えた若武者?でもなさそうですが・・・ 錦帯橋で有名な岩国のお祭り行事の一つにこのような出し物が有るそうです。これはその祭りの準備での火縄銃の撃ち方の練習風景で、写真はアマ無線の知人からの頂き物です。

鉄砲を発明した国は、ドイツとかイギリス等のヨ-ロッパのどこかの国と発想してしまいがちですが、それは違います。これはあまり知られてないと思いますが、実は現在活躍中の横綱朝青龍の故郷モンゴルだそうです。

モンゴルが元の時代に発明した物がヨ-ロッパに伝わり、それが鎌倉時代の日本にも伝わったと言うことです。Photo_73

当時、ポルトガル人によって種子島に持ち込まれた鉄砲は、最初はベラボ-な値段でしたので2挺ほど買って、それを見本にして種子島の鍛冶職人の手によって初めて国産化されたそうです。のち、商人の手によって日本全土に広められ、和歌山県の根来、大阪の堺、滋賀県の国友などでも生産されるようになりました。Photo_74

時の武将、織田信長はこの鉄砲にいち早く目をつけて、大量に買い込み、戦いに備えたと言う事です。

1618年長篠の戦いでの3段構え射撃作戦は有名で、武田信玄の息子、勝頼率いる無敵の騎馬軍団を徳川家康との連合軍で、壊滅させました。その時、信長、家康軍の鉄砲の数は3000挺とも言われております。

それを3段構えで1000挺づつ続けざまに発砲するのだから、たまった物ではありません。弾込めは熟練者で約25秒として、3隊が交代で撃つのだから、射撃間隔はやく8秒と言うことになります。勝敗は明白、織田軍の勝利です。

Hikoさんの友人で銃の愛好者もいますが、こういう古い鉄砲で野鳥を狙ってみるのも一味有りそうです。

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