浜名湖立体花博
この程、ゴルフと自家農園をこよなく愛する浜松の友人から「浜松モザイカルチャ-世界博2009」と銘打った、花博のリポートが届きました。
さしずめ、花木の彫刻展とでも言うべきものでしょうか?
それにしても素晴らしい力作揃いのようです。
コメントは、すこぶる簡単! 以下コメントです。
11月23日まで開催されています博覧会を見てきました。
ヨーロッパ、カナダ、中国、韓国等、各国からの展示がありま
した。詳しくはホ-ムペ-ジで検索できます。
ひで君の故郷の山紀行
福智山山頂付近 ひで君には英彦山が、かすかに見えます。
以前、当ブログでも紹介した事のある、日本百名山に挑戦中のひで君が久々リポ-トを送ってくれました。
今回は、念願の故郷の山にと、九州にやって来ました。
ひで君の感想では、彼の故郷にも名山はあった様です。
以下リポ-トです。
好天続きに誘われ、昨年のリベンジのため、10月29日(木)から北九州に出かけ、30日(金)に英彦山、31日(土)に福智山と尺岳を目指しました。
英彦山は、紅葉の真っ盛りで山頂は真っ赤に燃えており、平日というのに登山者も多く見られました。下山中に立ち寄った「鬼杉」も天然記念物に相応しく見事なものでした。
その日は直方で宿泊し、翌朝、タクシーで福智山ダムの堰堤下まで行き、そこから歩き初めて大塔の滝を眺めて、2時間少しで福智山の頂上に立つことが出来ました。
若い頃、眺めてばかりいた故郷の山「福智山」は、想像していた通りの名山でした。ススキもたなびき、少し暑いくらいでしたが、快晴で昨日の英彦山や遠く久住までも微かに眺めることが出来ました。さらに福智山から尺岳まで、快調な尾根歩きを続け、2時間弱で「尺岳」に到着。
我が故郷「畑のダム」も望むことができ、満足しています。畑へ下山することを断念し、竜王峡から直方経由で帰阪。今回の一人旅は、絶好の登山日和に恵まれ、永年の夢を叶えることができました。
福智山頂と尺岳山頂
英彦山の鬼杉
ダムサイドも秋の装い
Hikoさんが何時も散歩に出かけている、北九州市の南部の水瓶、畑のダムサイドもすっかり秋の装いです。
ダムの浅瀬の干上がった所に繁ったススキの穂も秋のやわらかい日差しに輝いています。
ダムサイドに設けられた公園の桜は、もう葉を落とし始めています。
山あいのわずかな水田の稲も刈り取られ、天日干しにされて、里山の景色に溶け込んでいます。
この秋景色を若いカップルはバベキュ-で楽しんでいます・・・・・・
このさわやかな環境の下、Hikoさんはいつものコ-スをひと歩きします。
山あいの、わずかな田圃の稲も刈り取られ、天日干しに・・・
酔芙蓉
大乗寺の酔芙蓉
本日のリポ-タ-はお馴染み、京都在住の元工作部員です。
暇に任せてと言ったら怒られそうですが、ホントの事?ウオ-キングに出かけ、酔芙蓉をリポ-トしてくれました。
酔芙蓉は、朝に白い花を咲かせますが,午後になるとだんだんピンクにかわり,夕方から夜にかけてさらに赤くなり,翌朝にはしぼんでしまいます。
このさまを,酒飲みの顔がだんだん赤くなってくることにたとえて,「酔芙蓉」の名で呼ばれている様です。
以下、元工作部員のリポ-トです。
今年も酔芙蓉の時期がやって来ました。
旧東海道日岡峠(山科)に大乗寺という小さな小さなお寺があります。
通称『酔芙蓉の寺』として近隣では多少名が通っています。
酔芙蓉は一日花で 朝は白 昼ごろは薄いピンク 夕方は紅いに変化して、夜には落花するそうですが
最近は二日間咲くのも珍しくないそうです。
しらふの時には白
曼珠沙華(ひがん花)
朝一番にパソコンを開いて、メ-ルチェックをしていたところ、真っ赤な彼岸花の大群が目に飛び込んできました。
眠気眼のHikoさんの目は、この鮮やかな彼岸花のお陰で、一気に覚めてしまいました。
暑さ寒さも彼岸まで、彼岸と言えば彼岸花!そういえばHikoさんちにも白い彼岸花が咲いていましたっけ・・・・
本日のブログネタはこれに決まりです!
浜の住人さま有難う・・・・・・・
以下、送り主の浜の住人のコメントです。
昼間はまだちょっと暑さを感じる日もありますが、朝晩はめっきり涼しく
なってきました。その涼しさに誘い出されて、埼玉県の南西部にある
巾着田(きんちゃくだ)という所に曼珠沙華(彼岸花)の群落を観に出かけました。
ここは関東一円では随一の曼珠沙華の群落で有名なところです。
「巾着田」とは面白い名前ですが、ここには高麗川(こまがわ)という川が
流れていますが、その川がアルファベットのU字の形に湾曲していて、空から
見ると「巾着」(財布)の形に見えるところからの命名だそうです。
確かに見事な群落ではありましたが、人手により作られたもののように
感じられてなりませんでした。
思いでアルバム-高千穂鉄道
トンネルを出たばかり、そして深い峡谷に架かる鉄橋に差し掛かったトロッコ列車の最後尾からの眺めです。
これも5年前に町内のバスハイクで高千穂峡を訪れた時のものです。
車内では、回り灯籠のようにめまぐるしく変わる絶景に歓声を上げ、また、持込の美酒に酔い、思い出深い旅でした。
現在はこの路線は災害に遭い廃線となっていますが、その時の車窓の景色は忘れがたく、一刻も早い復興が待ち望まれる所です。
トロッコとは似ても似つかぬ、しゃれたデザインのトロッコ列車(高千穂鉄道)
概要 [編集]
旧国鉄特定地方交通線であった高千穂線を転換して開業した路線である。五ヶ瀬川に沿って宮崎県北部の工業都市延岡市と神話の里高千穂町を結ぶ。深角 - 天岩戸間の高千穂橋梁(全長353m)は水面からの高さが105mあり、日本一高い鉄道橋である。そのため、旧国鉄時代から同橋梁上では乗客に対して眺望や高さを堪能させることも目的とした徐行運転を行っていた。
しかし、2005年9月6日の台風14号による増水で第一五ヶ瀬川橋梁、第二五ヶ瀬川橋梁が流失するなど全線にわたって甚大な被害を受け、運行休止となった。宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示したため、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、全線廃止とすることが決定された。2007年9月6日に延岡 - 槇峰間が廃止、翌2008年12月28日に高千穂 - 槇峰間も含む全線が廃止された。
ただし、民間で復旧・運行再開をする企業・団体が現れれば譲渡を検討するとしており、宮崎県内外からいくつかの企業が名乗りを上げたほか、高千穂町の観光・商工関係者らが部分運行再開のための会社として「神話高千穂トロッコ鉄道(しんわたかちほトロッコてつどう)」を設立した。同社は、まずは2008年12月に廃止された日之影温泉 - 高千穂間で部分運行再開し、その後日之影温泉から槇峰、将来的には、2007年に廃線となった延岡までの再開を目指している。なお、同社は2008年4月1日に「高千穂あまてらす鉄道」と改称された。
本線廃止後の延岡 - 高千穂間の人員輸送は、既存のバス路線もあった宮崎交通を中心とするバス輸送によって実質的に行われている。
運行形態 [編集]
全て線内折り返し運転で、ワンマン運転を実施していた。2両編成の場合は車掌乗務だが、ほぼ1両での運転のため、滅多に乗務しない。
1991年から運転されていた「たかちほ号」に代わり、2003年3月から2005年9月の運行停止まではトロッコ列車の「トロッコ神楽号」が運行されていた。
運行停止の時点では毎時1本程度のダイヤであった。
第三セクター転換後は高千穂駅と延岡駅で夜間滞泊が設定されていた。国鉄時代は日ノ影駅で夜間滞泊があり、朝の高千穂駅の始発は日ノ影 - 高千穂間を回送列車として運行されていた。(引用)
旅の印象-湯平温泉
山頭火も逗留したようです。
大分県湯布院に穴場的存在の温泉があります。
湯平温泉には、以前、友達と旅の途中に訪れた事がありますが、そのときには素通りに近い状態でした。
一度ゆっくり来て見たいとおもいながら、延び延びになり、九重の大吊橋が出来たのを切欠に、橋見学方々、訪れたのが、一昨年の冬の事です。
温泉街に入るや、ダラダラ長い石貼りの坂道が続きます。
三頭火ミュ-ジアムの看板につられて、矢印の方向に歩く事数分、コンクリ-トブロックむき出しのいかにも質素な作りの展示館に辿り着きました。
ここには、この温泉に立ち寄った、山頭火らしい足跡があり、興味をそそります。
また、寅さん映画のロケ地という事で、寅さんも来ていたようです。
もともと古い旅館街ですが、老朽化した建物をリニュ-アルしているところもあり、新旧入り混じった温泉街です。
泉質は定評があり、北九州からは2~3時間程度の距離で、時々訪れるにはいいところです。
何よりもいいのは、観光地の様な混雑がなく、ゆっくりと温泉を楽しめることです。
この時、Hikoさんが宿泊した宿は家族で切り盛りしていたようで、美人女将の行き届いた接待、そして、料理は満足でした。
近くに金の湯、銀の湯と言う入湯施設もあり、地元の人との交流も楽しめます。
すこし、涼しくなると温泉が恋しくなります。
また行ってみたい湯の平温泉。
石貼りの長い坂道の温泉街
寅さん記念館
九重夢の大吊橋の遠望
旅の印象-白川郷
雪深い白川郷に憧れて、一度は見ておきたいと、出かけたのが、6年前の秋のことです。
雪の白川郷にはお目にかかれませんでしたが、また、別の趣のある、秋の風物詩とも言うべき、刈り取られたばかりの稲穂の天日干し風景に出会いました。
機械化が進み、Hikoさんの住む北九州では、滅多に見ることが出来ない風景です。
最近、Hikoさんが見る収穫の風景は、機械で刈り取り、そのまま脱穀して、藁は細切れにして、たんぼにばら撒かれます。
しかし、ここでは昔ながらの、手間隙惜しまず米作りが成されているようです。
それとも、景観に配慮しての事か? いずれにせよ、ここでは美味しい米がいただけそうです。
雪解け水で育まれた稲、天日干し、この地で暮らす人々は、厳しい環境の代償として、おいしい米がいただけるのでしょうね!
地下駐車場
外は雨、濡れた車体が急ぎ足でゲ-トをくぐり、滑り込んできます。歩行者はル-ト案内に従って、車に注意しながら店内へ消えていきます。
ある商業施設の地下駐車場の風景です。
駐車場の薄暗い照明の中にも、生活観が垣間見え、チョットしたドラマがあります。
雨という事も有って、Hikoさんは、いつもの散歩コ-スを変更して、買い物のあての無いウインドショッピングと思いやって来ました。
雨を避けるために、最短コ-スの駐車場入り口を利用したという訳です。いつもは家内が運転する車で乗り付けるところ、歩いて入ると、いろんな物が見えてきます。
雨の日の薄暗い地下駐車場は、日ごろはあまり気付かない、いろんな色で飾られているようで楽しくもあります。
山あいの村の産業は?
小さな山あいの村はお茶の生産が行われ・・・・
先日訪れた山あいの小さな村、星野村の産業をお土産屋さんで聞いて見たところ、お茶と花木という事でしたが、花木の生産とは言っても、さほどの広い農地は無く、茶畑がそこここに広がっている程度です。
他には棚田で僅かばかりの米の生産もあるようですが、これと言った産業といえる程の物ではないようです。
この小さな山あいの村で、最近力を注いでいるのは観光の様で、静かな環境を都会の雑踏で生活している人たちに売り込んでいるようです。
その一つが、星を見る場所という山村ならではの思い付きから、天文台まで設けて星座マニアを呼び込んでいます。
今から夏にかけてがシ-ズンかと思いきや、ところが、冬のほうが空気が澄んでいてきれいと言う事のようです。
周辺に設けられた公園やトイレはきれいに整備され、村の力の入れようが伺えます。
おばしゃんの店
やまあいに在る小さな村で看板に誘われてやって来ました。星野村の唯一のお土産屋さんおばしゃんの店です。
おばしゃんと言う位だから、かなり年老いたおば~ちゃんを想像して店に入ってみましたが、あにはからんや!おば~ちゃんどころか、Gパン姿のベッピンさんが店番をしているではありませんか・・・・・
どうやらここのお嫁さんのようです。たぶん、そのおば~ちゃんの後を継いでお店を守っているのでしょう。
売られているものといったら、言ちゃ~なんですが・・・・
たいしたものは置いてないようです。この村で取れたよもぎを使った団子とか、ガニ漬け、ほかには・・・・・
それでもHikoさんは、その話し上手なベッピンさんのてまえ?団子やらガニ漬けを買ってしまいました!
世間話しのなかで、星野村と言う位だから、この村には星野姓が多いのかと思いきや、全く無いとの事・・・・・
はて、この村なんのむら? 夜空の星がきれいとは聞いていますが・・・・・
そう言えば天文台も有るそうな・・・・・・
棚田は田植えの準備中
棚田には水が張られ、苗を植えつけるばかりになっています。
山の急斜面を石垣で囲って、わずかばかりな田圃が重なり合うようにして作られている棚田です。
棚田は土を耕し、水が張られて、苗を植えつけるばかりの状態です。
ここを訪れたのは丁度一週間ほど前の事ですが、時季としてはもう少し遅い方が、青々とした棚田にお目にかかれたに違いありません。
ですが、この時季に訪れたのはやむなき事情からです。
九重のミヤマキリシマ登山のついでと言ってはなんですが、時間の有効利用、つまり、行きがけの駄賃と言うわけです。
近くでありながら、一度も訪れた事が無く、何時か一度はとの想いからこの時期になったというわけですが、棚田が似あう時季に、もう一度出直す必要がありそうです。
この小さな山間の村は福岡県星野村で、ここには、まだ日本の原風景が残っています。
九重に自生する高山植物たち
コケモモ(ツツジ科)[苔桃]
その小さな姿を苔に、丸く赤い実を桃に見立ててこの名がある。(引用)
九重はその過酷な環境からいろんな高山植物が自生しています。
今回のミヤマキリシマ観賞登山においても、道すがらこれらの高山植物が目を楽しませてくれます。
ミヤマキリシマのような派手さは無いにしろ、その控えめな咲き方には、また違った趣があり、出会ったときの感動はひとしおのものです。
Hikoさんもこの何年かでようやくその高山植物の名前を少しだけ覚える事が出来ましたが、まだまだ分からないものが沢山あります。
写真を撮っていると、それ何と言う花ですかと尋ねられることもあり、知っていれば得意げに答えられるのですが、そうでない事の方が多いのが残念です!
今回、知っているものを2~3紹介したいと思いますが、分からないものも・・・・・
マイズルソウ 葉の形が、鶴が羽を広げて舞を踊っているように見えるので「舞鶴草」と呼ばれます。(引用)
イワカガミは北海道から九州、山地帯から亜高山帯にかけて生育する多年生の草本。岩場や急傾斜地・山道の道ばたなどに群生する。葉は光沢があり、岩鏡の和名の由来となっている。(引用)
地獄と極楽は背中合わせ
尾根の右は極楽、左は地獄?
鋭く切り立った山の尾根を境に右と左ではまったく違った様相を呈しています。
お花畑の右側を極楽に例えるならば、左側は殺風景な石ころだらけの地獄の様です。
ここは九重の星生山(ホッショウザン)の山頂付近の風景です。
右の極楽側は、尾根から真下の西千里ヶ浜にかけてミヤマキリシマが咲きみだれ、まさに天国を想わせる景色が広がっています。
それに引き換え、左の地獄側はと言うと、硫黄山の噴煙モクモク立ち昇る迫力ある異様な光景です。
尾根はまさに地獄と極楽の分岐点という訳です。
多くの登山者達はこの地獄極楽背中合わせの険しい場所を用心しながら歩くわけですが、気持ちはみな同じ、地獄に落ちないように!と、慎重に・・・・・・
岩山に咲く
霧に煙った扇ケ鼻
ガスで少々煙ってはいるものの、今が見頃の満開のミヤマキリシマ。
この日の早朝は雨がパラついたものの、登山口に着いた頃にはすっかり上がり、絶好のコンディションになりました。
しかし、扇ケ鼻は折からのガスで遠望は望めませんが、満開のミヤマキリシマが、登山客を歓迎してくれてるかのように、競い合って咲き誇っています。
昨年は虫に食い荒らされ、下の方はほとんどと言っていいほど、花は望めませんでしたが、今年は違います!
下の方から頂上めがけて、ほぼ満開の花にお目にかかる事が出来ました。
2005年の時にもそうでしたが、今年も負けず劣らずと言ったところでしょうか・・・・・
花の時季と梅雨の季節が重なり、いつも雨を覚悟の登山ですが、このくらいのコンディションはいいほうでしょう。むしろ少々のガスに見え隠れして垣間見るミヤマキリシマは九重らしい風情すらあります。
ミヤマキリシマ登山紀行2009
2001年より、40年ぶりに復活した九重ミヤマキリシマ登山は、足の負傷で一度だけ休みの年は有ったものの、今なお毎年続いています。
今年も行ってきましたミヤマキリシマ観賞登山。
今回は、無理の無いル-ト選びで、前日に、すぐ近くに宿泊し、翌日早朝より登山開始という作戦です。
コ-スは、ミヤマキリシマ群落のある扇ケ鼻を第一目標に定め、あとは天候と足腰のコンディション次第という柔軟な計画です。
早朝、パラパラと細かい雨が降ったものの、登山口の駐車場に着いた頃にはすっかり上がって、登山日和となりましたが、喜んだのも束の間、折からのガスで遠景の展望は望めません。
それでも扇ケ鼻に着いた頃には、ガスの切れ間からミヤマキリシマの姿は見え隠れですが、満開の花を十分楽しむ事が出来ました。
いつもの虫害も季節外れの寒波により、虫の発生が抑えられ、例年よりは2~3割花付が良いと有って、昨年よりは随分良いようです。花時季も運良く今が丁度見ごろです。
天候もまずまずだし、この調子ならばと欲を出して、中岳を目指しましたが、やっぱり、途中から降って来ました。雨具姿で暫く進むも、上がる気配はありません。
未練を残しながらも、勇気ある撤退を決断、戻り始めたところ雨も小降りになり、なんとか持ちそうな感じもします。
雨はほとんど上がり、西千里ケ浜の濡れた草原(くさはら)に、着ていた雨具を敷いて、持参の山賊おにぎりを頬張っていると、空も心なしか明るくなって来ました。
正面には星生山(ホッショウザン)のゴツゴツシした岩場にもミヤマキリシマが岩に貼り付くようにして、健気に咲き誇っています。
ここで急遽、星生山アタックを試みる事にしました。いつもは横目に見て、久住や法華院など他の目的地に行っていたものを、今回は登ってみようと言う訳です。
瓢箪から駒とはこれの事、この頃にはガスも晴れ、思いもよらぬ絶景に同行者も大喜びです。ゴツゴツした岩とミヤマキリシマとの共演はなんとも言えない素晴らしさがあります。
勇気ある撤退をしていなければ、そのまま中岳まで行ってしまってこの絶景にはお目にかかれなかったことでしょう。
帰路、もう一度扇ケ鼻を覗いては見ましたが、ここではやはりガスっています。暫く晴れ間を待っては見たものの、その気配は無く、後ろ髪をひかれる想いで扇ケ鼻を後にしました。
まあこの時季、少しばかり苦汁を舐めはしたものの、これだけ楽しめれば言う事なしのバンバンザイでしょう。
九重は今
九重、平治岳のミヤマキリシマ 2003.6.8.撮影
写真は6年前に九重の平治岳に登ったときのものですが、なぜ?今、この写真かと言うと、九重に想いを馳せ、もうそろそろ九重もこの様な状態かな?との思いからです。
じつは、昨日、法華院温泉山荘に電話を入れて見たところ、ミヤマキリシマの開花状況は、現在5~6分と言ったところで、見ごろは今月末か来月月始め頃ではないかとの予想でした。
今年の開花は早いとの大方の予想を覆し、平年並みのようです。
今年もミヤマキリシマ登山を予定して、その時季を待っているところですが、折からのインフルエンザ情報に、気持ちもやや下火?各地からの見物客がイヤ~ナお土産持参でやって来るやも知れません。
平気で海外旅行する人もいるくらいだから、考えすぎと言ってしまえばそうかも知れませんが、Hikoさんにとっては今は大事な体、植木の剪定時季とも重なり、慎重をきしたいところでもあるのです。
かと言って、毎年続けているミヤマキリシマ登山を諦める勇気もないような・・・・・
心の準備は出来ていますが、決行には今しばらく時間があります。
この日は好天に恵まれ、いいお花見日和で・・・・2003.6.8.撮影
いずれがあやめか杜若?
この花の名は、あやめ?それとも花菖蒲、はたまた、かきつばた?
先日掲載した戸畑あやめについて、家内からのはなしで、香月の町を流れる黒川沿いに沢山咲いてるのが、もしかして・・・・・?
なんて!の情報を受け、半信半疑で雨の中、現場に行って見ることにしました。
戸畑あやめとは似ても似つかない、とは言いすぎかも知れませんが、あきらかに戸畑あやめとは異なりました。
ここで問題発生です。Hikoさんには、この花が何なのか、「あやめ」と「菖蒲」、さらには「杜若(かきつばた)」の区別が付きません。
ここは、花専門の花屋さんに頼るしか仕方がありません!
同じ、香月町出身だから、生息地など割り出せば直ぐに判明するとは思いますが、まずは写真を見ていただいてと言う事になります。
はたして、これは?・・・戸畑あやめではない事はHikoさんでも分かりましたが、ハテ?この花の名は・・・・・
コメントが入るまで気長に待つしか有りません!
狐と狸
茶店で見かけた、看板娘ならぬ看板狐のイナリちゃん
狐と狸の化かしあい、これは男と女の恋の駆け引きの時など使われる諺ですが、ここに登場する狐と狸は人が化けた、いや化粧して成りすました狐と狸です。
これは数年前に九重に旅した時のものですが、ある茶店で出会った狐と狸です。 それにしてもよくもまあ、そっくりに化けたものと感心させられます。
それに、狐はなかなかの美形で、まさに雌狐を地でいってるようです。
狸はと言うと、これも何を考えているか分からない、まさに若きたぬきじじいと言ったところです。
これはお客に店をアピ-ルするための演出ですが、それにしてもこの店員さん、役にはまってなりきっています!
しかし、最近雌狐目当てに立ち寄ったところ、店も改装してあり、この美形の雌狐は居なくなってしまっていました。看板雌狐の居ない茶店は、ゆで卵に塩を付けずに食べるようなもの!つまりません。
狸の方は・・・・居たかも知れませんね!
裸電球の下でヤマメの串刺しを焼いているたぬき・・・・・
昭和は遠くなりにけり-4
昭和の生活必需品 自転車とラヂオ
自転車とラヂオ、昭和とは切っても切れない深い関係のある生活の必需品でした。
自転車はやがてバイクへと替わりそしてマイカ-に、ラヂオは白黒テレビからカラ-へ移行し、そして現在の主流は液晶テレビ・・・・・
生活は確かに豊かにはなりましたが、当時のような有り難味は薄れたような気がします。
Hikoさんが若い頃には、電停までの通勤の足は自転車でした。雨の日も風の日も・・・・・
雨風がひどいときにはビショ濡れになり、それでも我慢して、ペダルを踏んだものです。
ラヂオはHikoさんの青春そのものでした。当時、はやりの5球ス-パ-は生活の一部と言っても過言ではありません。
あの真空管のぬくもりが懐かしく感じられます。
そう言うHikoさんはお年でしょうか? ![]()
昭和は遠くなりにけり-3
昭和37年当時の値段、ガソリン46円、軽油35円、灯油21円、 (ガソリン税26,10円 軽油税12,50円)
昭和の時代を象徴するかのように、年号をそのまま用いたガソリン屋さんです。
当時のスタンドは、手でハンドルをグルグル回して入れていたようです。
タンクも現在のような地下に埋設したものではなく、タンクそのものにポンプが付いている給油機です。当時の需要は押して知るべし、現在ではこんなことしていたら間に合いません。
まだこの頃には地球に与えるダメ-ジもあまり考えられてはいなかったようです。
気になるお値段は? ガソリン46円、現在と比較したら安く見えますが、当時のサラリ-マンにとっては、かなりお高めのようです。
それでも持ちたいマイカ-でした。
昭和は遠くなりにけり
大分県を旅したときに、高田市の昭和の町という所に立ち寄った際に見かけたオ-ト三輪です。
今では過去の遺物と化してはいますが、Hikoさんが高校生の頃には、このオ-ト三輪が物流の主流でした。
車が3個しかない分、製作コストは安く上がり、初期型のものはハンドルはバ-ハンドルで、バイクに荷台を付けたようなものでした。エンジンは空冷で・・・・・
エンジン始動はキック! 現在当たり前のように使っているセルモ-タなんぞありゃしない!
それが進化して、やがて現在のくるまの様な丸ハンドルになり、エンジンも水冷になってセルボタンを押すだけでエンジン始動が出来るようになりました。
写真のものは後期型で、ドア-もちゃんとした形になっていますが、初期型は幌で出来た簡単なもので、冬ともなると隙間風がス~ス~入ってきて運転士は凍えたものです。
今から丁度半世紀前の日本の物流を担った立役者でしたが、まさに昭和は遠くなりにけりです。
桜の便り2009京都発-Ⅳ
毎日のように京都から桜便りが届いております。桜の花時季はすこぶる短く、リポ-トする側も大変だとは思いますが、見る側としては、こまめな情報を送って貰い、居ながらにして京都の花見を楽しむことが出来てよろこんでいます。
さて本日は琵琶湖疎水、毘沙門堂からの元工作部員の報告です。
”注” 元工作部員とは・・・・
Hikoさんが高校時代に3年間学舎を共にした友人で、部活が工作部に所属し、模型飛行機製作に明け暮れしていた、ちょび髭紳士のニックネ-ムです。時折、京都特派員の名でもブログに出演?します。
その頃Hikoさんはというと、物理部に所属、ラジオ作りに明け暮れしていました。5球ス-パ-というラジオが主流で、当時は配線図なしでも作れたものでした。年をとってもアマ無線を楽しんでいます。
以下その元工作部員のコメントと共にお伝えします。
一日中降り続いた雨も止んで、4/5の朝の内は多少曇り気味でしたが、昼からはからりと晴れ上がって絶好の花見日和です。
この日は毘沙門堂で観桜会が模様されるとあって、いつものウォーキングコースの琵琶湖(山科)疏水の桜を見ながら出かける事にしました。
やはりというか、案の定というか、かなりの人出です。
桜の便り2009京都発-Ⅲ
秀吉の花見に因んで桐の紋の幔幕も煌びやかです
京都から桜便り第3弾が届きました。上の写真だけ見ると京都らしい情緒豊かな花見の会場の様に思えるのですが・・・・・
さに有らず・・・・・
髭の特派員のリポ-トをお伝えいたします。
琵琶湖疏水、毘沙門堂の桜の満開は2~3日掛かりそうです。そこで先に満開となった醍醐寺の桜をお届けします。
ウィークデイにも拘らず、 どえりゃあ人出でこれでは花見というより人見です。 京都市内の花見の名所はいずれもこんなものです。
車で来てはいけません。駐車場の待ち時間で下手すれば夜桜見物となる事も有り得ます。
醍醐寺門前
桜の便り2009京都発-Ⅱ
地蔵禅院の枝垂桜(京都府指定天然記念樹) 円山公園の祇園枝垂と同株の姉妹樹です
京都からの桜便り第2弾がこのほど届きました。前回はまだ蕾の状態だった地蔵禅院の枝垂桜が満開のようです。
寒の戻りでやや足踏み状態だったものが、4月に入ってやっと満開を迎えたようです。
送り主は、云わずと知れた元工作部員です。
この他にもまだ満開に手が届かない井出の玉川のソメイヨシノなどの情報なども併せて届きましたので、ここで公開したいと思います。
以下元工作部員のリポ-トです。
先に早すぎたか桜情報として送信した、3/20の春分の日の地蔵禅院の枝垂桜は五分咲き程度で今一でした。
そこで 4/2 また 墓参りのついでに地蔵禅院を再訪して満開の枝垂桜を楽しんできました。
地蔵禅院から降って500m程のところに井出の玉川が流れていますその土手も桜の名所として知られています。今はまだ七分咲きと言ったところです。
この山城井出の玉川は日本の六玉川の一つに数えられています。
他の五つは(紀伊高野の玉川、近江野路の玉川、摂津三島の玉川、陸前前田の玉川、武蔵調布の玉川)となっています。
それぞれの桜木にこの玉川を題材にした短歌の短冊が揺れていました
(井出桜 散り舞う空に ふとよぎる 特攻隊の桜ぼたんが)
若き血潮の予科練の七つボタンの桜に錨~~~
この歌の詠み人が気になりました
井出の玉川のソメイヨシノ まだ七分咲き
満開予備軍
桜の便り2009 京都発
菜の花畑が見える高台にある枝垂れ桜の最新情報 京都発
京都からこのほど桜の便りが届きました。送り主はいつも情報を寄せてくれる高校のときの同級生で、元工作部員です。 彼は昨年の暮れ念願の新型デジカメをゲットし、主に京都近郊の情報を写真付きで送ってくれています。
今回も地蔵禅院の枝垂桜、琵琶湖疎水の桜情報など送ってくれました。
以下リポ-トです。
春分の日、親父の墓参り(一休寺)のついでに、まだ早いとは思いましたが、地蔵禅院の枝垂桜は如何だろうかと取敢えず寄ってみました。
案の定、少し早かったが、誰も居ない静けさと銘木枝垂桜を独り占めした感じで実に爽快でした。
地蔵禅院:京都府綴喜郡井手町にある曹洞宗の禅寺
車 窓
疾走する車の助手席より咄嗟にケイタイで・・・・・
今日のHikoさんは、故あって助手席に乗ることを余儀なくされております。車は遠賀川上流の河畔を疾走中、残念ながらカメラは持ち合わせていません!
咄嗟にケイタイを取り出し2~3枚続けざまのショット!
河川敷に咲いた菜の花を撮影するためです。なんとか雰囲気は捕らえたようですが、なにしろ疾走する車からのショットです。 手前の枯れ草らしき流れた画像からその様子が伺えると思います。
気温もやや上昇気味で、若菜摘み?のひともチラホラ、筑豊地区を流れ、玄界灘へと注ぐ母なる川、遠賀川にもようやく春が訪れたようです。
川の両岸に菜の花が・・・・・
宝ヶ池の住人ならぬ住鳥?
オシドリの雄 カラフルですね! これで雌の気を引く・・・・・・
京都の野鳥愛好家の友人からめずらしい画像が届きました。 北九州辺りの池では決して見ることのないオシドリの写真です。
愛用のカメラを引っさげて、自宅から電車で30分の京都北部に位置する人工池、宝ケ池からのリポ-トです。
以下リポタ-のコメントです。
京都市の北部にある宝ヶ池にウォーキング&バードウォッチングに出かけました。
家から近くの京都市営地下鉄『東野』から乗って≒30分で北のターミナル駅『国際会館』でおります。
宝ヶ池まで徒歩5分です。
宝ヶ池:昔、灌漑用池として作られた人工の池です
現在は公園として整備され市民の憩いの場となっています。
春は桜、秋は紅葉、池には水鳥、周囲の森は野鳥が楽しめるようです
しかし人出は少なく数少ない穴場のようです。
ぐるっと一周ダムサイド
畑ダム一周ウオ-キングコ-スは膝に優しい舗装です。
もうお馴染みの畑のダムサイド、ウオ-キングコ-スの風景です。前日の悪天候からうって変わった小春日和の日、Hikoさんの「畑に行って見ようや」の言葉に家内も素早く反応、二つ返事で「行こうか」・・・・・・
Hikoさんはカメラにリケノン28を装着して、畑のダム一周のスナップを目ろんでいました。 連れはと言うと、久々のウオ-キングです。
このダム一周コ-スは、路面もウオ-キング専用の弾力のある素材で舗装されており、足への負担を軽減出来る様になっています。
家内を適当な所で降ろし、Hikoさんが先回りして写真を撮ると言う算段です。
この立派な舗装コ-スの利用者は、やっぱりここでもシルバ-族が多いようです。
そう言うHikoさんは?
気持ちの上では万年青年のつもりですが・・・・・ ![]()
早春の暖かい日差しの中で・・・・・
北九州市立池田小学校畑分校跡(ダム建設でここに移転した分校も閉校して、今は校舎も無く草はらです。)
白木谷から流れ込む清流
EX RIKENON 1:2.8 28mm F8 マニュアル
予期せぬ収穫
枝垂れ梅もこうなれば圧巻です
昨日の小糠雪は何処へやら、前日とはうって変わって、いいお天気になりました。小春日和とはまさにこの日のことを言ってるようです。
陽気に誘われるように、思いつきで、畑のダムサイドへ・・・・・・
家内のウオ-キングの伴走を兼ねて、Hikoさんはダム周辺を撮影しようと言う魂胆です。
ダムの一番奥まった所にある駐車場に車を留め、目標を物色中の事です。
前方から来た車が何やらライト点滅の合図をしました。 えっ!と思いながら、運転席を見てもガラスの反射で確認が出来ません。
誰かなっ?と、その時、窓を開けて手を振り見覚えのある顔が笑ってます。
「なんしよ~と~?」と、筑豊弁です。 東京だったら「なにしてんの?」と言ったところです。
なんと同級生です。
ついこの前も、ここで別の同級生とあったばかりと思いながら、あれこれ喋っているうちに、この先の梅林を見に行って来たとの事、「あんたも行って来たら?」と促されましたが、最初はその気はありませんでした。 なにしろ伴走と言う仕事の途中ですから・・・・
「車で2~3分位しかかからん、サ~と行って来たらいい」と、さらに勧められ、「そんなら」と、チョットと道草です。
有りました、ありました!沢山の梅が、紅梅に白梅、満開の梅、まだ少し早い物とかなりの数です。
夏に一度ホタル狩りに来た場所でしたが、梅の時季は初めてです。
予期せぬ収穫でなんだか得した、チョット道草でした。
えっ?歩いている人! やっぱり少しばかり待たせた様です。![]()
手作りの白木谷梅林の看板が掛けられました。
これは見応えが有ります
植木の産地
屏風の様に立ちはだかった耳納連山の麓に、九州の植木の産地で有名な田主丸が有ります。
植木ブ-ムの時にはこの地域全体は植木の生産が盛んで、かっての久留米絣の販売ル-トを辿って、植木を全国に売りさばいたと聞き及びます。
そのブ-ムが去った今は、わずかに植木畑があるものの、その大半が麦畑などの普通の畑と化してしまっています。
その田主丸へ、Hikoさんは仕事で久しぶりに訪れました。
若い頃には植木の買い付けによく来たものですが、最近は電話一本で用を済ませる事が多くなり、めったに来る事はありません。
市場の出荷量もかなり少なくなったようで、以前は所狭しと植木が並んでいた場所も、通路が広々と採って有ります。
規模はやや縮小気味でも、まだまだ需要を見込んでの市場は健在でした。
植木畑も残っていますが大半は麦畑などに変身しています。
ビフォア アンド アフタ-
星ヶ丘団地探検の途中で見かけた貸店舗物件です。 どこかで見かけた看板に似てるな~と思いながら記念?に一枚!
写真を撮ったあとで気が付いたんですが、我が家の近くのパン屋の看板がこんなだったな~と思いながらその時は気にも留めずにいました。
やっぱりそうだったんだ~! 近くにオ-プンしたパン屋さんと同じ物でした。 後で聞いた話だと、ここは客が余り入ってなかったらしい・・・・・・・
場所としてはそう悪くない様ですが、やっぱり客の流れと言うか、何かが違うようですね! 店舗の構えもなんだか床屋みたいだし・・・・・
ところが移転するや否やお店は繁盛し始めたそうです。店舗も斬新なデザインになりました。 距離的には、そうは離れていない物の、やっぱりチョットした事で大違いのようです。
ビフォア なんだか床屋さんみたいで・・・・・
小春日和のダムサイド
市民の喉を潤す水瓶であり、憩いの場としても親しまれているダムが北九州市の南の外れにあります。 それは「畑のダム」と言って皆に親しみを込めて呼ばれており、福智山系の尺岳辺りから流れ落ちる水を満々と湛えております。
この「畑のダム」はHikoさんがまだ小学生位?だったかと思いますが、その頃に建設され、以前はダムの底にあたる所を歩いた記憶も有ります。
それから半世紀以上も経った今、ダム周辺の歩道はきれいに整備され、休日ともなれば散策に訪れる人たちで賑わっています。
Hikoさんもカメラをブラ~と下げて来て見ました。 この日は晴天、微風なれど吹き抜ける風は少々冷たく感じます。
家族連れでウオ-キングを楽しむ人、わざわざここまでやって来て、脇を流れる清流の水を汲んで来ては洗車に勤しむ人、犬と同伴の人達と様々です。
梅の香りもわずかに漂い始め、このダムの周辺もやっと冬の眠りから覚めて動き始めたようです。
家族連れでのウオ-キングを楽しむ人
大型商業施設出店!
その大きさは空母をも思わせる程・・・・・
宅地造成が進み住宅も建ち並び、買い手が付いて入居し始め、小学校も出来て、ようやく街が出来上がった頃に、あたかもそれを見透かしていたかのように、北九州市との境界線を越えて、一段高い場所に大型商業施設の建設が始まり間もなく営業を始めました。
その大きさと言ったら、この地域では思いも寄らぬ超恕級を誇る規模で、あたかも大型空母をも思わせる程です。
内容もかなり充実しており、食料品をはじめ、酒類は勿論の事、衣料品、家電品など、生活に必要な物はすべてこの商業施設で賄えるようです。
他にも子供の喜びそうなゲ-ムコ-ナ-、映画館、食堂街などが有り、休日ともなれば近郊の地域からも家族連れでやって来て賑わいを見せております。
この超大型商業施設オ-プンに伴い、その周辺には、また宅地造成が始まり住宅が新しく建ち並ぶと言う、連鎖反応をも引き起こした程です。
北九州市との境界を隔てて・・・・
この地域としては思いもよらぬ大きさです。
変ってしまった我が町
こだわりの店、若いパン屋さん
この辺りは約20年位前にはボタ山の有ったところです。エネルギ-革命で炭鉱が閉山に追い込まれて、ボタ山も放置されたまま、草ボウボウの状態でした。
そのボタ山の壊滅防止策として樹木が植えられはしたものの、それもそのまま放置されて雑木林と化していました。
利権が絡み、土地ころがしもあった様ですが、宅地造成が始まったのは平成に入って間もなくの頃だったと記憶しています。
あれから20年、家が建ち並び、個人商店、病院、大型商業施設、ガソリンスタンド、公園など等が次々と整備され都市化が進みました。
Hikoさん宅から歩いて5分もしない距離にはコンビニも出来、パン屋までもが出店しました。そのパン屋のお向かいさんは蕎麦屋です。
建物も今風のモダン建築で、20年前にはおおよそ想像だにしなかったことです。
これが蕎麦屋?と言いたくなるような蕎麦屋の建物!
冬の遊歩道
冬の遊歩道は閑散としています。
春は新緑、夏には格好の木陰を、また秋には紅葉で彩られる遊歩道は、季節ごとに変わりゆく景色を楽しみながら散策する人達で賑わい、市民の憩いの場として親しまれておりますが、冬の歩道は、木々は葉を落としてしまって閑散としており、散歩を楽しむ人影も疎らです。
この遊歩道は住宅街を真ん中から断ち割ったように、団地のほぼ中央部を東西に走っています。
通路の中ほどには、アメリカフウやケヤキ等の落葉樹が植え込んであり、周辺の住宅とは、レッドロビン(西洋ベニカナメモチ)の生垣で仕切られています。
以前Hikoさんは、この生垣の剪定を請け負ったことが有りますが、その長さには、てこずった事を思い出します。
家から少しばかり離れた所に位置するため、仕事以外ではめったに来ないこの歩道を久しぶりに歩いてみました。
西側の入り口付近にはホ-ムセンタ-が出店しており、買い物のついでの事ですが、西側からは、なだらかな上り坂になっており、中ほどまで進んだところには公園も設えられ、ウオ-キングコ-スにはいい環境に有ります。
沢山の実?をつけたアメリカフウ
諏訪流放鷹術(ホウヨウ術)
オオタカの低空飛翔
新年早々、京都特派員から珍しい催しの情報が届いていましたが、最近話題性のおおいメ-ルが届いたり、野暮用にかまけていたら、ニュ-ス性から言っても、つい掲載が賞味期限ぎりぎりになってしまいました。
梅の便り第一報などの情報と前後しましたが、やはりこれは挙げておきたいと、思い立ったと言うわけです。
東の放鷹術は、他のブログで見た自ら撮影された画像が印象的でしたが、今回は西での開催の模様で、撮影は元工作部員です!
放鷹術とは鳥の王様とも言うべき猛禽類を躾けて狩をすると言う、日本古来からの伝統の技の様です。
じかに見ることの出来ないHikoさんは、せめて送られた画像で楽しみ、その様子を知る事が出来ました。
悠然と飛翔するハリスホ-ク
ハヤブサ 木に止まる事は少なく鷹より高速で飛び続けつつ獲物を捕まえるそうです
以下 元工作部員のリポ-トです。
七草粥を戴いてのんびりとしているところに二条城で放鷹術の実演が催されることを知り早速カメラを持って馳せ参じました。
何十年振りかの二条城で、今では世界文化遺産に登録されています。
二条城は1603年 徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し三代家光が1626年に完成させたと案内に有りました
放鷹術(ホウヨウ術): 諏訪流放鷹術といい鷹狩りの技術を伝承している鷹匠、鷹匠補は一般の会社員、公務員、執筆家、医者等といった方たちが勤めているようです。
以下ネット引用
早々と梅の便り
関東の暖かい地方では一足先に春の訪れのようです。
先日、高校のクラスメイトである浜の住人から、早々と梅の便りが届き驚いております。
我が家の梅の蕾は、まだまだ硬く縮こまった状態ですが、九州よりは北に位置する関東地方の暖かい所では、もう春は訪れているようです。
以下は浜の住人からのレポ-トです。
数日前のHikoさんのジャンクBOXで、まだ硬い梅の蕾が紹介されていましたが、こちらでは今日散歩の途中の植木畑で気の早い梅が咲いているのを見かけました。
その他大勢が蕾状態にあるにもかかわらず、その一つだけが完全に開いていました。
当地では、今週に入ってからこの冬一番の寒さが到来しましたが、春はもうすぐそこまで来ているんですネ!
房総半島の外房側や伊豆半島など、一足早く春が来る所では菜の花が満開だそうです。
街外れのクラカメショップ
石炭産業が盛んだった頃には賑やかだったこの通りも、今はその面影を残しつつも閑散とした商店街になってしまいました。
店の看板が物語っているように、この写真館も時代に取り残されたかの様にかっての華やかさはありません。
Hikoさんが、ときおりここに足を運ぶのは、若い店主が趣味で始めたクラカメショップを、表通りからここに移したからです。
10年前にはクラカメブ-ムに火がつき、マニアに混じって一般客も引っ切り無し訪れていた店も、ブ-ムが去ると一気に下火になって、やむなくこの街外れに移ることになったようです。
しかし、マニアと言うものはありがたいもので、店が表通りであれ、街外れであれ、探し当ててまで来てくれるから、店主としてはうれしい想定外です!
街外れの方が車も留めやすいし、ゆっくり出来て、マニアにとってはかえって好都合と言う訳です。
ライカ熱は冷めてしまっても、マニアはまた別の楽しみを見つけたようです。デジカメにクラシックレンズを取り付けて遊ぶと言う・・・・・・
かっては栄えた商店街も閑散としています
青春の街黒崎は今!
北九州の黒崎と言えば、古くは宿場として栄えた街であり、Hikoさんが若い頃の青春の街でもありました。
いつもは車で素通りしてしまうので、最近の街の様子など伺い知る機会が有りません。
所用で近くまで行く事になり、車を少し離れた所に留めて、街の様子を見ながら歩く事にしました。
何時も買い物に訪れていた商店街はシャッタ-が目立ち、わずかに昔の面影を残している所も有るものの、大半が変わってしまっているのには驚きました。
当時、華やかだった飲み屋街も、Hikoさんの知る店の名前は当然の様になくなっており、よく待ち合わせに指定していた公園は、多少は形を変えはしたものの存在しているのに、ホッとさせられます。
学生時代、ラジオの部品を買に通った店、20代、デ-トの時に利用した喫茶店、会社帰りに夜遅くまで飲んだ店、み~んな無くなっては居ますが、その場所に立てばその当時の事が甦ってくるから不思議です。
暫く来ない内に変わってしまった黒崎の街、懐かしい青春の街も確実に年を取っているかの様にも思えます。
大きくアピ-ルしてはいるものの、シャッタ-が目立つ黒崎商店街
邪魔な電線
この場所はHikoさんが若い頃、犬を連れてよく散歩に出かけていたところです。
当時は雑木林で、下を走る道路など無く、福智山は何物にも邪魔される事無く間近に観る事が出来たのですが、今やご覧の通り、人間様の都合により、開発が進み、家が建ち並んで、生活道路も整備され、挙句の果てには電線が、くもの巣のように張り巡らされました。
現在はこじんまりとコンクリ-トで固められてしまった溜め池も、以前は湖の様に、その広さも今の数倍程も有り、背景の福智山と相俟って、雄大な景色は、それは目を見張る程のものでした。勿論、電線なんぞ有ろう筈が有りません。
開発前に、この地で撮影した写真が有った筈ですが、何処かに紛れてしまって、今は幻の風景になってしまいました。
それにしても、折角の風景を台無しにしてしまうこの邪魔な電線、どうにかならないものでしょうか・・・・・
夫婦舟
沢山の漁船が繋留されている漁港で、なにやらうごめいている人影を見つけました。 海風が吹きさらしている寒い船上で作業をしている老夫婦の姿でした。
久しぶりに近くの漁港を訪れた目的は二つ・・・・・
その一つは、この日は冬の時季にしては幾分気温も高く、どこか景色のいいところで、おにぎり弁当でも食べようかと言う試みです。
あいにくこの日は風が強く、気温は暖かめでも外に出るとかなり寒く感じ、弁当は車の中でと言う事になりました。
窓越しに見る海の景色は素晴らしく、糸を垂れた釣り人の動きもゆったりとして、冬を感じさせないのどかさです。
もう一つはと言うと、古いレンズの味を楽しむため、格好の被写体がここにあるからです。
デジタルのペンタックスボディ-にロシア製のレンズ、ヘリオスを装着して、Hikoさんお気に入りの漁港を撮影しようと言う訳です。
漁船で作業しているご夫婦と見られる二人は、チ-ムワ-クもよく、漁のあとのいけすの掃除をしているらしく、何度も何度も繰り返し網を差し込んでは、生簀の中のゴミらしきものをすくっています。
ヘリオスの描写は、この光景を温か味のある色調で表現してくれたようです。
洞山の猫
久しぶりに漁港を写しに行ってみようと思い立ちました。 我が家特製の山賊おにぎり持参です。 中には、うめぼしをはじめ、塩ジャケ、塩昆布、自家製芋ヅルの佃煮など・・・・・
代行運転付ですので、アブクの出るやつと琥珀色の付いた少し濃いめのやつも忍ばせておきました。
濃いめのやつは、持参のお湯で少し薄めて熱々をチビリチビリ・・・・・・
さて、目的の漁船が繋留してある漁港の方へしばらく歩いていると、途中で見かけた、のどかな風景にチョット道草です。
ここには自然発生?の野猫が沢山居るではありませんか! 漁港だけに食う物には困らないらしい。 親切な御仁がおられると見えて、チャンと発泡スチロ-ル製の寝床まで設えて有ります。
この野猫達、全員、人馴れしていて、人が近づいても逃げようともしません。逃げるどころか、寄ってきて愛嬌をも振りまく始末。 猫好きにはこたえられなさそうです。
旧松本邸-日本館
正門を入ると直ぐ右手に日本館があります。
松本健次郎邸は洋館に先立って明治42年に建てられたもので、入母屋書院造の建造物であり、洋館とは廊下で繫がっています。
以前、飯塚市にある、石炭王伊藤伝衛門邸を掲載した事が有りますが、時代背景、造り共に似たような所があります。
松本健次郎も伊藤伝衛門と同じく鉱業に携わり巨万の富を得て、金に糸目をつけることなく、この建物は建てられたようです。
それは内外を問わず贅沢そのもので、玄関の破風には凝った彫刻が施され、また廊下には硝子がふんだんに使われ素晴らしい庭園が見渡せるようになっており、国の重要文化財にも指定されております。
玄関の破風には凝った彫刻が・・・・・・
廊下の天井も細工があり、硝子がふんだんに使われて素晴らしい庭園が見渡せる様になっております。板ガラスは当時のままの物の様で、外の景色が歪んで見えます。
旧松本家住宅は九州実業界の元老「松本健次郎」(1872~1963年)の旧邸です。大規模な洋館と日本館、数棟の付属室からなる明治後期の典型的な貴紳住宅です。
この洋館の設計は赤レンガの東京駅などを設計した辰野金吾の主宰する辰野・片岡事務所が当たり、日本館の設計は洋館の建築監督をした久保田小三郎が行いました。洋館は明治43年(1910)に日本館は明治42年(1909)に造られたものです。
日本館は洋館の現場監督を務めた久保田小三郎が設計した。辰野は関与していないが、玄関の破風や庇などに辰野の息吹を感ずる。入母屋書院造の建物は、車寄玄関に続いて中央書院、大座敷を雁行配置した書院座敷と、居室を備える。洋館とは廊下で連絡する。
洋館の外観は、絵画的な建築様式をとり、ハーフティンバースタイルとアールヌーヴォー風の細部意匠に特徴があります。建物の内部にはステンドグラスや名画、昭和天皇の泊られた部屋などがあり国の重要文化財となっています。
通常、屋敷内への立入りはできませんが、春と秋の年2回一般公開されます。現在は西日本工業倶楽部の所有となっており、専用会館として会員の講演会、会合、パーティなどさまざまな行事が 行われています。また、建物の特徴を生かし、結婚披露宴、音楽会、茶会などにも利用されています。
周辺には花菖蒲の名所である夜宮公園があります。
旧松本家住宅は、明治時代の鉱業家で「明治専門学校(現九州工業大学)」の創設者の1人、松本健次郎がかつて暮らしていた洋館・日本館各1棟および蔵2棟から成る建造物である。北九州市戸畑区に位置する。洋館と日本館は1972年(昭和47年)、蔵2棟は1982年(昭和57年)に、それぞれ国の重要文化財に指定された。
上記解説文はネットより引用しております。
旧松本邸(西日本工業倶楽部)-洋館
アール・ヌーヴォ-風の木造洋館
この程、北九州の著名な建築物である旧松本邸の内部を観る機会が与えられましたので、ここで少し紹介したいと思います。
ここは国の重要文化財にも指定されており、明治後期に建築された様です。
正門の扉越しには時々見ることは有っても中に入る機会はなかなか無く、Hikoさんもこれが初めて・・・・・
門を入ると直ぐ正面には、衝立の様に、扇状に枝を張った大きなシイノキが配され、その直ぐ後方に、アール・ヌーヴォ-風の二階建て木造洋館が現れました。
二階の窓には凝った細工のステンドグラスが目を引きます。
中は、出来るだけ建築当時の原型を留めつつ、やや改装がなされているようですが、かなり綺麗に保存されております。
2階の窓には細かい細工のステンドグラス
西日本工業倶楽部は、筑豊炭田で財を成した松本家の旧邸宅。旧松本健次郎邸。松本が1908-12年に自らの住宅と学校(明治専門学校、現在の九州工業大学)の迎賓館を兼ねて建設した。北九州でもっとも優美な建造物として知られる。
屋敷は夜宮公園の南東にある。洋館と日本館からなる明治時代の典型的な貴紳住宅で、正門脇に供待を設け、裏手に勤務員の住宅、倉庫、煉瓦造の蔵2棟を配す。
戦後は進駐米軍が接収し、独身将校宿舎としたため建物が傷んだ。米軍接収が解除された1952年に北九州財界の社交倶楽部・西日本工業倶楽部が設立され、東京へ移転した松本家から屋敷を譲り受け、以後は倶楽部会館として利用する。1981-2年に修復されて往時の姿を取り戻した。
建造物
洋館は明治建築界の立役者、辰野金吾が主宰する辰野・片岡事務所が設計した。濃緑のハーフティンバーと繊細なアールヌーボーの意匠が大財閥の邸宅らしい表情を与える。小窓を穿った屋根は天然ストレート葺き。
内部は1階の広間を中心として、東側に執事室、応接室、主人書斎が並び、西側に客室、食堂その他を配す。2階は主寝室と子供部屋が並び、来賓室や和室を設ける。室内を彩る各種装飾品も第一級の芸術作品として評価が高い。
日本館は洋館の現場監督を務めた久保田小三郎が設計した。辰野は関与していないが、玄関の破風や庇などに辰野の息吹を感ずる。入母屋書院造の建物は、車寄玄関に続いて中央書院、大座敷を雁行配置した書院座敷と、居室を備える。洋館とは廊下で連絡する。
敷地内の建造物は土蔵も含めすべて国重要文化財。一般公開は年に二度のみで、抽選に当選する必要がある。敷地外から眺めるのは自由だが、正面は盆栽のようなシイノキが扇のように立ち塞がる。庭園側は生い茂る樹木に阻まれて敷地内はまったく窺えない。
解説文はネット引用です。
紅葉情報・京都発-勧修寺
観修寺 書院
今日もいつものウォーキングコースの山科川を下って観修寺(カジュウジ)の紅葉を訪ねました。観修寺は900年に醍醐天皇が創建された古刹です。
この様なコメントと共に元工作部員・京都特派員から送られてきた写真です。
ここで、元工作部員について、少し触れてみようと思います。
彼は福岡県立○○工業高校機械科に在籍して、クラブ活動は工作部に席を置いていました。
その事から、Hikoさんが勝手に元工作部員呼ばわりしていると言う訳です。
その当時は、工作部では模型飛行機作りが盛んで、模型飛行機と言っても、ちゃんとエンジンを搭載して空を飛ぶやつです。
その頃は、飛行機の翼の先端より細いワイヤ-を2本出して、バ-ハンドルでコントロ-ルする、いわゆるUコンが主流でした。
その元工作部員がUコンのバ-ハンドルからデジカメに持ち替えて、今や京都のデジタルカメラマンに変身! 故郷に京都の情報を送ってくれているのです。
Hikoさんも、その恩恵に与っている一人と言う訳です。
紅葉の便り京都発-続便
待ちわびていた京都の紅葉の様子が、この程ようやく届きました。ようやくと言うのには、こちらの不手際もあり、メ-ルボックスの容量がいっぱいになり、送られた画像付きメ-ルを拒否していたようです。
写真付きメ-ルを沢山受信してそのままにしている為で、時折、整理が必要です。
Hikoさんは過去の不要なメ-ルをただ削除する事はせずに、送り主ごとにフォルダを作り、殆どのメ-ルをハ-ドディスク(外付け)に保存するようにしています。故に、整理に手間取り、満杯状態が続いたと言うわけです。
今年の京都の紅葉は少し遅めなようで、まだ少し青みを残したのも多々見受けられます。
京都特派員と言えども、都合と言う物が有り、ジャスト紅葉に出くわすのは難しいようです。
しかしながら、何時もの事では有りますが、居ながらにして拝見出来る素晴らしい景色には惚れ惚れします。
以下 京都特派員のコメント・・・・・
夕映えの金剛山
めざましく変貌を遂げたわが町を見下ろしている山、これが金剛山です。この金剛山は変わることなく、ず-とそのままの姿でこの街を見続けています。
Hikoさんは子供の頃から、この山のことを「こんごやま」と呼び、慣れ親しんできました。木屋瀬小学校(北九州市立)の校歌にも、この山を歌詞に詠っているほどです。
福智山も象徴的な山ですが、これは都市化が進み我が家からは、遂に姿を消してしまいました。前に建った家に阻まれてしまったからです。
この金剛山は見る角度が、住宅街から外れているため、今でも自宅から姿を見ることが出来ます。
朝夕当たり前の様に見ている山、晩秋の夕日に映し出されて、何も語らず、今日もわが町を見下ろしています。
商売下手な出店のオッサン
紅葉狩りの途中にテントを張っただけの出店が出ていました。たなびく大売出しののぼりに誘われて、車を留めて覗いてみました。
野菜直売の割安感が目当てですが・・・・・
まず目に飛び込んできたのは、大振りの立派な渋柿です。干し柿にするには丁度良い感じのものです。
値段を見てビックリ! 値段も遠慮無く大振りです。客の一人が思わず「高い!」・・・・・
出店のオッサン、この「高い!」の一言に直ぐに反応して、血相を変えて「物が違う」・・・・・・ いっぺんに買う気をそがれてしまいました。
主婦は色んなところでリサ-チしていますので、値段の事には敏感です。その言葉を真摯に受け止めなきゃ、たぶんその渋柿の行方は、売れ残って、そのオッサンの自宅の軒につるされる運命になるやもしれませんね~
モミジ狩り・英彦山-2
古色を帯びたモミジの大木は赤、黄、緑とグラデ-ションが美しい
お酒も少々入り、美味しいお弁当を食べた後は、空模様を気にしながら、次なるポイントへと移動する事にしました。英彦山にも雪舟の庭があり、そこにはモミジの古木があることを知っていたからです。
この古いモミジも紅葉には少しばかり早かったようで、まだ青い葉っぱが残った状態です。
しかし、赤、黄、青(緑)と微妙なグラデ-ションに色付いた紅葉はそれなりの風情は有り、来た甲斐は十分有ありました。
ここは、本通りからやや山手に入り込んだ位置にあるため、知る人ぞ知るの場所らしく人影は疎らで、ゆくりと散策を楽しむ事が出来ました。
この頃からやはり降って来ました・・・・・ポツリポツリと・・・・・
帰りの運転は勿論お抱え代行運転者が行います。
この日は、お隣夫婦と4人連れの、つかの間の穏やかな一時でした。
モミジ狩り・英彦山-1
きれいに手入れされた杉林、色付いたモミジが彩りを添えています。
きれいに間伐された杉林を脇目に見ながら、山道を上ってゆきます。標高が上がるに連れての紅葉を期待をしながら・・・・・
この日は休日と有って、ここ英彦山は家族連れやバイクでのツ-リングを楽しむ若者たちで賑わっていました。
曲がりくねった狭い道での頻繁なすれ違いに気を配りながらの山道走行です。人出の多いのは、先日テレビで、紅葉が見頃の英彦山の放映の影響も多分に有りそうです。
その紅葉は昨年程には無く、期待された紅葉もそこそこです。幾分時季尚早の感もあり、来週あたりが見頃かもしれません。
なにはともあれ花より団子、満杯の駐車場の一角に用意してきたゴザをしいての花ならぬ、モミジ見と洒落込みました。
持参のモミジ見弁当を人目も気にせずに広げて、ここは一杯始まりました。
天気も今一ですが、ほどほどの紅葉を鑑賞しながらの紅葉狩りは、やっぱり花より団子・・・・・・格別です。
部分的には美しく紅葉しています。豊前坊駐車場付近
足立美術館の庭園-鳥取
この程、鳥取を旅して来た人から写真が手渡されました。早速見てみると中には素晴らしい庭園の写真が有ります。
庭の写真と言えば、京都からは何時も素晴らしい写真を、京都特派員が送ってくれていますが、その京都にも負けず劣らず・・・・・
こちら、足立美術館の庭は、スケ-ルは凄い物が有ります。配置された樹木の大きさと比較してみたら、押して知るべし、使われている庭石の大きさときたら、普通では考えられないくらいの規模の大きさです。
兎に角大きいの一語に付きます。背景の山々を借景に取り入れられていて、これがまたスケールを大きくした要因でも有ります。
主庭の他、美術館全体が閑静な庭園に取り囲まれているという事で、Hikoさんもこれは一度、実物を見ておく必要が有りそうです。
館内からの展望 樹木の大きさと比較して、配置された庭石が、いかに大きい物が使われているか推測できます。
水辺のにある建物の閑静な佇まい
以下引用です
日本庭園と近代日本画をご鑑賞いただける足立美術館。当館が島根県安来市に開館したのは、昭和45年秋のことです。
創設者足立全康が自ら収集した、横山大観をはじめとする近代日本画と、陶芸、彫刻、蒔絵、童画などの魅力的なコレクションの数々。
そして日本の神々のふるさとと言われる出雲の国の恵まれた自然を借景に、四季折々の表情を醸し出す50,000坪の日本庭園。
帰郷のみやげ-京都発
夕映えの遠賀川 手前の山は帆柱山 皿倉山頂より
この程、京都の友人が送ってよこした物は、北九州の風景写真でした。
先日、新型カメラを購入したとの報告を受けたばかりですが、その新型カメラを携えて、北九州にやって来た様です。
新型カメラの威力たるや素晴らしい物があり、その望遠効果は目を見張る物が有ります。今やレンズの交換ナシでこれだけの事が出来るとは驚きです。
京都に帰る前に八幡の町をぶらつき、撮影された物らしく、北九州に住んでいるHikoさんですら、この画像を目にして、見覚えのある景色が新鮮に思えます。
その京都の人が生まれ故郷の北九州を撮って、送ってきた珍しい?北九州の画像に、この街を再認識させられた感が有ります。
響灘の風車 皿倉山山頂より
アフタ-稲刈り田園風景-岡垣
稲刈りを終えてその切り株からまた新しい芽が出始め、あたかも田植えの後のような景色を作っていますが、となりの田圃はもう耕してあります。
その事からも秋の雰囲気は伝わってくる、のどかな田園風景です。
ここは岡垣町、福岡市と北九州市の丁度中間に位置する田園地帯です。
仕事の合い間を縫って、気分転換に近場をドライブして見ました。車で少しばかり走っただけでも、この様な風景にお目にかかることが出来ます。
話はゴロット変わり、「噂をすれば陰」という諺が有りますが、噂ならず、この事を書こうかなと思案中の、その時です。
ピ~ンポ~ンと来客ありで、出てみると、珍客さんのお出ましです。
何か重そうに手にしたものは・・・・・・
焼酎!! これはHikoさんの好物です。
こともあろうに、岡垣ブランドの焼酎です。
噂、いや、今回は噂ならず、想いが通じた? 岡垣の田園が岡垣焼酎を呼び寄せた? こじつけですが、こんな事ってありますかね~
まさに思いもよらぬ出来事でした。
この日の晩酌は岡垣の風景を思い浮かべながら、岡垣焼酎を頂く事になりそうです。 抓みは・・・・・
自家製芋づるの佃煮かな?
石垣島1989-Ⅴ
石垣島の夕日のスポット 綺麗な夕日が沈みます
いよいよ石垣島ともお別れが近づき、前日の夕方、夕日の綺麗なスポットに案内して貰いました。 この石垣島の夕日の綺麗な事は有名です。地名はチョット忘れてしまいましたが、もしかしたら観音崎?と言う所かもしれません。
石垣各局で、このブログを見られた人は、教えて欲しいところです。
この後は盛大な送別会が待っていて、あまりゆっくりは出来ませんでしたが、大海原にゆっくり沈む夕日、それは素晴らしい光景でした。
送別会は、市内のホテルのビアガ-デンにセットしてあり、石垣島のアマチュア無線の友人達が集まってくれました。
今回の紀行文には無かったのですが、カメラを忘れて大事な風景を撮ってない所が有ります。石垣島を海から観光しようと、例のAJZ氏がボ-トを借りてきて島一周のクル-ジングに誘ってくれた時の事です。
海からの眺めもまた素晴らしく、極めつけは、サンゴの砂で出来たほんとに小さな島、これには草木も生える事無く、半月形をした真っ白い島で全長は100m?位しかない島です。
この小さな島に上陸して、持参のおにぎり弁当を食べましたが、この美味さはもう二度と味わう事も無いでしょう。
いよいよお別れのときが来ました。石垣島滞在はあっという間の出来事で、これが本当に夢の様な日々と言う言葉が相応しい数日間でした。
小さな石垣空港には、皆さんお見送りに来てくださり、建物の屋上から手を振ってのお別れでした。石垣島のみなさん本当にお世話になりました。
特にJS6AJZ氏には、付きっ切りでガイドして頂き、夜は夜で飲み屋に繰り出し、お付き合いしてくれて、お礼の言いようも有りません。 オバアの営む屋台の、アシテビチのおでんの味は今も忘れません。
残念な事に彼は、先日の記事にXWAさんのコメントにも有ったように、もう今は天の川に浮ぶ小船の船長さんになってしまいました。
石垣島の みなさ~ん ありがとうございました~
送別会にはハム中間が集まってくれました。左から、JS6CPE・JR6EBF・JS6AJZ・アンガマの面作家・紅一点JR6XWA・JS6DTQの皆さんです。
石垣島 バ~イ バアイ~~
西表島1989-Ⅱ(由布島)
サンシンの弾き語りを聴きながら、ゆったりと水牛車で・・・・・
西表島まで行けば、当然、由布島(ゆぶじま)観光が付き物です。Hikoさんたちもここの名物である、水牛車で浅瀬の海を渡る事にしました。
水牛たちには一頭一頭に名前が付けてあって、よく訓練されており、ぎょしゃのおじさんが指示しなくとも通いなれたる道とばかりに、終点まで導いてくれます。
この日は運良く、ぎょしゃのおじさんのサンシンの弾き語り付きで、沖縄民謡を聴きながら、ゆったりと浅瀬の海を渡りました。
ここは、公園の様によく整備されており、トックリヤシの並木を脇目で見ながら、反対側にはハイビスカス、いかにも南国情緒豊かな島です。
その一角に小さな池が掘ってあり、中には水牛君が、温泉にでも入っているかのように、のんびり気持ちよさそうに浸かっています。
水牛は皮膚の乾燥を極端に嫌うと言うことで、途中での休憩中には水をかけている光景を見かけます。
西表島のもう一つの名物は、ここでも「星の砂」が採取できる事です。そう言えば小柳ルミ子が唄った歌にも「星の砂」というのが有りましたが・・・・・
海流で運ばれ流れ着いたと思われる空き瓶を拾って、それにいっぱい詰めて込んで、西表島の思い出に・・・・・・
ここで、いいお土産が出来ました。
トックリヤシとハイビスカスいかにも南国情緒ゆたかな由布島です。
お土産の、「星の砂」を採取中のJS6AJZ・JR6XWA
西表島1989-Ⅰ
石垣島から高速艇に乗り約一時間で西表島に到着しました。この日は紅一点のJR6XWAも貸切ツア-に参加してくれました。ここでも南国の太陽が容赦なく照り付けます。
ここではレンタカ-を借りての観光ですが、相変わらず運転はJS6AJZです。カラカラ天気の中、サトウキビ畑では、撒水車が忙しく働いています。
暫く走ると道路沿いのあちこちに、「イリオモテヤマネコ飛び出し注意」の看板が目に付きます。貴重動物として保護されているのです。
河口付近には、マングロ-ブがうっそうと生い茂っています。西表島のマングロ-ブは是非とも見ておきたいと言う事で、観光用のボ-トに乗り込みました。
我々三人だけのお客を乗せたボ-トは川伝いに内陸に向け上っていきます。マングロ-ブの林のむき出しの長く伸びた木の根っこを、至近距離で目の当たりにし、カメラのシャッタ-を忙しく切るも、ボ-トが揺れて、手ブレの連続・・・・・
かなり奥まで進んだ所で下船して、ここから歩きで原生林の探検?です。
暫く歩いた所で、ワカメ?の様な形をした薄っぺらい根っこを持つ巨木に出会いました。その名は「サキシマスオウノキ」と言って、根の大きさと言ったら、3人並んでもまだ余りあり、10人くらいは十分平気と言うほどの大きさです。
木の幹も特徴の有る形をしており、Hikoさんは見るのは勿論初めての事で、この様な木が有ること自体知りませんでした。
やっぱりここは、別世界のようです。
カラカラ天気の中、サトウキビ畑では、撒水車が忙しく働いています。
石垣島1989-Ⅳ
立派な門構えの、やや古びた民家の佇まい
石垣島貸切観光はAJZ氏のガイドで案内されるがまま、車は海岸線から少しばかり内陸の方に入ってきました。石垣島特有の民家を見学するためです。
やや古びた立派な門構えの家が有ります。ここは観光客のために解放してあるようで、ここの管理人でしょうか? 物腰の柔らかい白髪のオバアに出会いました。
カメラを向けるとやんわりお断りの言葉が返ってきましたが、建物にはこの土地の木材でしょうか、全てに太目の柱が使われており、いかにも丈夫そうです。また、風の通りの良さそうなつくりで、中はいかにも涼しそうです。
裏に回ると驚いた事に、日本庭園も造られています。その石組みはサンゴ礁の石灰岩と思しめき白い庭石が使われており、樹木はやっぱり南国の木でした。 これにはHikoさんも驚きました。
民家を後にして、立派な山門のある建物の前に来ました。ここはどうやらお寺らしく、つくりは普通のお寺のようでしたが、中に入って見ると、ここにも日本庭園が設えて有ります。
スケ-ルはかなり大きく、庭石はここでもサンゴの石灰岩です。その石組みは立派で、大きな石の滝組も有り、まさに日本庭園そのものですが、やっぱり植木が南国の木と有って、本職のHikoさんとしては、少し無理が有るような感じで、違和感は否めません。
しかしながら遠く離れた石垣島にまでも、日本の伝統文化が伝わっていると言う嬉しさも有ります。
石垣島と言うくらいだから石垣は? と思いきや、やっぱり有りました。途中、長い石垣の有る民家に出会い、納得の瞬間です。
太目の柱が使ってあり丈夫そうで、中は風もよく通るようになっていて、涼しそうです。
やっぱりここでも日本庭園、庭石はサンゴの石灰岩、植木はソテツなど南国の樹木です。
なが~い石垣に出会いました。
石垣島1989-Ⅲ
波静かな川平湾
もう20年も前のこと、石垣島のアマ無線の友達の誘いを受け、Hikoさんはその石垣島へ行ってみる事にしました。案内役のJS6AJZは高級車を借りてきて、自らが運転して島中をガイドしてくれました。
石垣島を取り囲む海は、何処に行ってもその美しさは目を見張る物が有ります。とりわけ、川平湾(かびらわん)は波静かで穏やかな美しい所です。
当初はこの近くの民宿を希望したのですが、市内から少し離れているので、一週間の滞在では少々不便と言う事もあり、宿泊は市内のホテルにしましたが、この景色を見ると、少しばかりの不便さは我慢できたかも知れません。
海に面した民家の庭にはブ-ゲンビリアが咲きみだれ、いかにも南国の香りをあたり一面に振り撒いてるかの様です。
また、底地ビ-チの長い砂浜はシ-ズンとは言え、人影は疎らで、その全てが、あたかもプライベ-トビ-チの様です。
この海岸には松の木と思しめき木もあり、Hikoさんは職業柄気になるところです。と、そのすぐ横にはこれまた不思議な、パイナップル?の様な実をつけた木を見つけました。
これらは海水に根を洗われながらも平然と立っているのには驚きです。この石垣島には北九州では見る事の出来ない風景が沢山有り、目を楽しませてくれます。
ブ-ゲンビリアの花が南国ム-ドを高めています。
石垣島1989-Ⅱ
玉取崎展望台、人っ子一人居ない静かなビ-チを背景に記念写真
遠浅のサンゴ礁、広がるエメラルドグリ-ン! 石垣島貸切ツア-の始まりです。
高級車を何処からか借りてきて、石垣島一周観光案内をかって出てくれた友人はJS6AJZです。彼は腕利きのマグロ漁師で、普段は漁の傍ら船の上から波(電波)を出しています。
この日は一日ドライバ-件ガイドの役でHikoさんを案内してくれました。
道路沿いには見たことも無いめずらしい木が生い茂り、強烈な太陽の下、真紅のハイビスカスの生垣は印象的で、いかにも南国と言った景色です。
石垣島にも山らしい山も有ります。於茂登岳(おもとだけ)526mと言う小高い山がここの最高峰の様です。
この於茂登岳からハンディ-トランシ-バ-で波を出そうものなら、島中カバ-出来ると言う・・・・・
途中、絶景の平久保崎灯台に立ち寄り、土地の漁師さんとの歓談も、初めて見るパイナップル畑等など、ここにはHikoさんの住む北九州では味わえない、物珍しさでいっぱいです。
石垣島1989-Ⅰ
石垣島上空、エメラルドグリ-ンの海、白い浜辺、サトウキビ畑・・・・・
燦燦と降り注ぐ太陽の下、エメラルドグリ-ンの海が広がります。そして真っ白いサンゴ礁の浜辺・・・・・
友人の誘いで、石垣島へ行って見ようと思ったのは20年ほど前の事です。
小さな石垣空港に一人降り立ったのは、真夏の一番暑い盛りでした。暑い所は暑い真夏の方がその良さが分るとの、その友人の勧めからです。
時は、1989年7月中旬、この九州でも一年を通して一番暑い盛りの頃ですから、遙か南にある石垣島の暑さは、想像を超えてます。
数人の友人の出迎えを受け、とは言っても、皆初対面の人たちばかりです。アマチュア無線で知り合った仲間ですから、普段はごく親しくしゃべっていても、顔を合せるのは初めてと言う訳です。
どちらからともなく声を掛け合い、固い握手・・・・・・
すぐに友情は確認され、早速最寄の喫茶店で懇親会の始まりです。喫茶店の傍らには無線機が備え付けて有ります。
そうです! この店の女性オ-ナ-もアマチュアさんです。集まった顔ぶれは、JS6AJZを始めJR6XWA・JS6CPE・JS6DTQ他のメンバ-です。
早速ビ-ルで乾杯と思いきや・・・・・・
ここの習慣は昼間はやらないらしく、冷たい飲み物で・・・・・
夜8時ごろになり、夕食を軽く済ませ、これから本腰を入れての飲み会に入ると言う仕組みです。 チョット戸惑ったHikoさんですが郷に入れば郷に従い・・・・・
コスタブランカという名の喫茶店。 傍らには無線機が設置して有ります。石垣島のハム中間を無線で呼び込み中・・・・・左よりJR6XWA・JS6CPE・Yちゃん・JS6AZJ
夜ともなれば、ご当地、民謡酒場に繰り出して・・・・・飛び入りはJS6AJZ
軽快な沖縄民謡に合せて踊りも出ます。
旅の思い出・緊急避難
阿蘇火口付近、ハンドマイク片手に監視員が険しい表情でなにやら叫んでいます。
阿蘇中岳火口付近の風景です。監視員があわてた表情でマイク片手になにやら叫んでいる様子が分ります。
火の山、阿蘇はいまだに活躍している活火山です。時折火山ガスの発生も有り、火口付近見学は規制されておりますが、風向きかげんでは、この規制も解かれ、見学が許されております。
中学(香月中)の時の同窓会でここを訪れたのは昨年の春の頃です。この日は天候も良く、風向きを待って、山頂行きのゴンゴラに詰め込まれました。
詰め込まれたと言う表現は、火山ガスの発生との兼ね合いで、短時間での運行のため、お客をゴンドラに目一杯詰め込み、まさに、すし詰め状態での運行です。
やっと火口付近に辿り着いたと思いきや、ガス発生のアナウンス・・・・・・
雄大な阿蘇の景色を見る暇も無く、救助用に送られてきたゴンドラに飛び乗って、あえなくトンボ返りという羽目になりました。
何しに行った? すし詰めゴンドラを体験しただけに終わった阿蘇山見学でしたが、今となっては、これも旅の楽しい思い出です。
暫く時間待ちしたあげくに、すし詰めのゴンドラに詰め込まれました。
やっと阿蘇火口付近に着いたのもつかの間、火山ガス発生!(画面左のモクモク)
救助用の空のゴンドラが上がっていきます。
変わりゆくオオツジタウン
週末になると、ささやかな会食を計画しています。一人暮らしの義母を励ます為です。
幸い、近くにファミレスが有り、ここは週末ともなれば子供づれなどで賑わい、一人暮らしの年長者には、格好の刺激の場となります。何よりいいのは、メニュ-も豊富で安く上がるからいいです。
支払いは割り勘? これがまたいい習慣です。 (^^ゞ
行ったついでに近くの風景をスナップしました。いつものケイタイの出番です。
故郷を離れ、関東、関西に住み着いて、香月の町(北九州市)をしばらく見ていない人にも見てもらいたいとの思いも有っての事です。
広い道路が街の中を割り込むように走って、昔の面影は殆どなくなっていますが、ほんの少しだけ、有るには有ります。
全くと言っていいほど変わっていないのが、遠くに見える福智山です。この日は秋晴れ爽やかで、福智もくっきり姿を見せています。
香月よりのメッセ-ジ、伝わってるかな ?・・・・・・・
前方は大辻炭鉱跡地、今は住宅地に変身中(写真には入っていないが、右側に位置するところに油坂があります。)
旧大辻売店前に有るス-パ-駐車場より、福智山を望む(右側の山)
油 坂
コンクリ-トで出来た陸橋は昔のままです。その両脇には大辻炭鉱の社宅が建ち並んでいました。
上の方にかすかに見える赤い鳥居はそのままですが、石垣は新しく造られたもの・・・・・
左手前は大中酒店、その前は床屋さん、正面は小倉(おぐら)みせ・・・ それにしても急な坂道、急カ-ブ、自転車操作も大変でした。
この一連の写真は最近の油坂の景色を撮ったものです。あいにくデジカメは持ち合わせていなかったもので、ケイタイで撮って見ました。
最近のケイタイに付いたカメラは性能が良くなり、記録写真を撮るには十分です。
油坂、言われてみると滑りそうな坂の様ですが、その通り、現在は完全に舗装が施して有りますが、その昔は土がむき出しで、雨でも降ろうならツルツル滑り、あたかも油を撒いたかのようになった様です。
たぶん、名前の由来もその辺から来ているものと考えられます。
この辺りも都市化が進み、昔ながらの風景が消えつつある中、かろうじて、この油坂の景色は昔を留めております。
もちろん、建物には改装が施され、昔のままとはいかないまでも、その佇まいには面影がある様です。
大辻炭鉱が盛んな頃には、この細い道沿いも活気に溢れ、行きかう人も沢山居ましたが、今となっては、写真を撮ってる少しばかりの間には、人っ子一人にも出会いませんでした。
北九州から遠くに離れてしまった友人も、この景色を見ると昔を偲んでくれるかな~? なんて思いながら、駆け足で、この急な坂道を行ったり来たりで、撮影しました。
この油坂は、藤で有名な吉祥寺の近く、北九州市香月に有ります。
レトロな街と人力車
昭和17年に関門トンネルが開通するまで、九州の玄関口としてその役割を果たして来た門司港駅。
この駅舎は九州最古のもので、木造二階建ての堂々たるネオルネサンス風建造物で大正3年2月に完成し、国の重要文化財にも指定されております。
最近整備されたばかりの駅前広場ですが、ここでは大正ロマンの香りがプンプンしております。
そのレトロな駅舎の色調に合わせたかの様に、街の観光案内役として人力車が客待ちしています。
その客待ちの人力車が、お客との交渉中でしょうか?若い車夫が中年紳士になにやら熱心に話し掛けているようです。
お客の男性と手前を歩いている女の子の着る物が今風でなければ、一瞬、大正時代までタイムスリップしたような光景です。
街中を駆け回って観光案内をする人力車のスタッフは、当然、美男の若者ぞろいです。
福智山遠望
北九州市星ヶ丘団地付近からの福智連山の遠望
ふるさとを離れて懐かしく故郷の山を思い出し、時折ブログにコメントをくれる友人が居ます。
現在、その友人は関東に居を構え、近くの山並みを見ては故郷の山と比較して、若かりし日の事を懐かしんでおられるようです。
昨年の秋に撮影した物ですが、その福智山(ふくちやま)のきれいな姿を見て貰うべく遠景の写真を、もう一度UPしてみました。
この写真は、Hikoさんの家から直ぐ近くの団地から撮影した物ですが、いつも犬の散歩で通る場所です。
左側のヒトコブラクダの瘤の様な形をしたピ-クが尺岳(しゃくだけ)、右側のきれいな姿の山が福智山です。
福智山は標高900.6mと、余り高いとは言えない山ですが、これがけっこう険しく、頂上付近はまさに心臓破りの急峻な昇りが待ち構えています。それでも、Hikoさんが20代の頃には、月に一度は必ずと言っていい程よく登りました。
山頂からの眺めは素晴らしく、辺り一帯が手に取るように一望できます。
いつも見慣れている風景ですが、こうして写真にして見ると、若かりし日の、福智~尺縦走(福智山~尺岳)を思い出します。
http://jp.youtube.com/watch?v=Ayf8-0_f2X8&feature=related
田川、方丈温泉からの帰り、直方との中間位の所からの福智山(中央)
夏の想いで
お盆を境に、朝夕はめっきり涼しくなり昼間の暑さも和らぎ、秋の気配すら感じるようになりました。
この気温の差に、真夏の酷暑から逃げ出して、涼を求めて九重高原に行ったことを思い出します。真夏の九重が丁度こんな感じでした。
タデ原湿原散策、伏流水の湧き出る男池で食べたおにぎり弁当などなど・・・・・
つい、ひと月前の事ですが、なんだか遠い昔の事の様によみがえって来ます。今年の暑い暑い夏の想いでです。
下界の暑さを尻目に、ここは涼風もここちよく大勢のハイカ-で賑わっていました。
湧き出る清流を前に、カップ麺付きおにぎり弁当は、贅沢この上ないご馳走です。(男池にて)
涼を求めて 近場の渓流
夏休みも半ば、恒例、チビッコ民宿を控え、お客さまのお持て成しの場、近場で水遊びが出来る場所はないかと、弁当持参で、近くのダムの上流に、下見方々行ってみました。
居ました居ました!ここは、先客チビッコたちで賑わっています。
バケツに網、はたまた浮き輪や水中眼鏡、チビッコたちは思い思いの遊びの道具を持ち込んで、大声上げてはしゃいでいます。
脇では、チビッコ監視役のママさんたちが、これまた思い思いに涼を楽しんでおります。
やはり渓流の水は冷たく、川面を吹き抜ける風は涼しく心地よい・・・・・
とりあえず、座る場所を確保し、持参のおにぎり弁当を開く事にしました。もちろん、アブクの出るやつも・・・・・・
ここは近場とあって、チャ~ンとお抱え運転手が付いていますので、こわい飲酒運転はありません。 安心して頂けます。 ![]()
涼しいところで、安心して飲めるビ-ルの旨い事!
海苔巻きおにぎり、中味は塩ジャケに梅干、あとは涼しい風が何よりのご馳走です。
ここは、よほど早くから場所取りしておかないと、良い場所に陣取れないナ~! 下見の役目は忘れてません。
これで民宿の亭主の仕事が一つ出来たと言う訳です。 当日は、早朝からシ-トを持って・・・・・・ ![]()
富士山ライブカメラ
富士山ライブカメラ 今朝6時頃の、三ツ峠山頂カメラによる映像
久しぶりに富士山のライブカメラを覗いてみました。
高校時代の友人が送ってくれた、富士山ライブカメラサイトの今朝6時頃の三ツ峠山頂カメラの映像です。
最近、富士山の見える地区の天候が思わしくなく、なかなかきれいな姿を見せてくれませんでした。
九重で知り合った友人が富士登山に挑戦をしたいとの事から、富士山の映像をプレゼントしようと、見張っていましたが、ようやく良い映像を見ることが出来ました。
早速この画像を送り、激励したところです。
本日の富士山はきれいな姿をしています。 朝もやの中の富士山は清清しい・・・・・
富士山ライブカメラ 今朝7時頃の、三ツ峠山頂カメラによる映像
富士山ライブカメラ 今朝8時頃の、三ツ峠山頂カメラによる映像
涼を求めて 杖立温泉
中央の歩道橋には、こいのぼりをかたどった、願い事が書かれた絵馬がズラ~リ
涼を求めて・・・・・
杖立温泉にやって来ましたが、ここは日田盆地の中、涼など望めるはずが有りません。
ここに着いた頃は、まだ日は高く真夏の太陽がサンサンと照りつけていました。 暑い・・・・・・
しかしながら、日も沈む頃になると、直ぐ脇を流れる清流から吹き抜けてくる風はさすがに涼しく、来た甲斐が有ったと言うものです。
泉質がいい事から、江戸時代の頃から、この温泉街には湯治客も多く、建物も明治以来という古いものが現存しています。
今回、Hikoさんが訪ねた宿もその一つで、なんと築100年は経過しているとの事でした。見た目は現代風に改築は成されてはいますが、見るからに老舗の風格を漂わせています。
なぜ?ここで杖立温泉かと言うと・・・・・
金額、つまりキャンペ-ンの名目で格安料金の情報から、この宿に決定したと言うわけです。もう一つ、温泉の湯が好評だから・・・・・
仕事で、足腰を酷使するHikoさんは、最近、肩まで痛めてしまい、そのメンテナンスも兼ねての事。
評判通りお湯は申し分なく、低料金の割には料理もかなりの物で、ここは合格点でしょう。
古くからの温泉街ですが、北九州からは車で2時間、リピ-トも考えてみたい所です。
涼を求めて 鯛生金山
初期の頃は採掘もノミとツチの手作業で・・・・・
九重高原での涼を満喫して、帰路、下界に行くにしたがって気温は上昇し始め、日田に着いた頃にはもう涼と言う言葉とは縁が切れてしまいました。
涼を求めて・・・・・
ふと脳裏を過ぎったのが金山跡です。そう、この近くに鯛生金山が有ったはず、そうと決まれば、ポイントを返して金山目当て・・・・・
道路標識に従いながら、蜂の巣城で有名だった、下筌(しもうけ)ダムを左手に見ながら走る事約30分、ようやく到着しました。
Hikoさんは以前何度かここを訪れていますが、最近、かなり様変わりしてきれいになっています。道の駅も出来、広々とした駐車場も完備してあり、鉱山の入り口がわからなくなってます。
警備員に道案内してもらい、ようやく目的の鉱山入り口にやって来ました。
入り口付近では、もう坑内からの冷気が漂い、中に入るや否や、まるで冷蔵庫に入ったようで、涼は滝の裏側の比では有りません。気温は20度をはるかに下回り、ここでは寒さをも感じます。
ここは大分県日田市中津江村、2002年サッカ-ワ-ルドカップのカメル-ンチ-ムのキャンプ地として一躍有名になった所です。
金山は明治31年ごろから採掘が始まり、大正を経て昭和47年に閉山したそうで、その間には色んなドラマがあり、昭和の初期には日本一の産出量を誇った様です。
坑内見学は3~40分位で一巡出来る様になっていますが、その間、外の酷暑の事などまったく頭から離れてしまい、まさにここは別天地です。
鉱内入り口付近ではヒンヤリと涼気が漂って来ます
涼を求めて タデ原湿原
九重の長者原には広大な「タデ原湿原」が広がっています。ここは「坊がつる」と併せて、水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約である、ラムサ-ル条約湿地に登録されております。
ラムサ-ル条約とは湿地の保全と賢明な利用の促進を目的とする国際条約の事です。
ここタデ原湿原は約38ha、坊がつるは53haと、いずれも国内最大級の規模を有し、多様な地質と地形を反映した植物の分布となっており、わが国を代表する湿地でもあり、これらの植生を維持していくために、毎年春には、地元の人達の手によって野焼きが行われているそうです。(看板引用)
標高1000mの高所に有るタデ原湿原は、真夏でも爽やかな風が吹きぬけ、下界の暑さを尻目に、散策も気持ちよく行えます。
豊富な湿地の植物を楽しみながらの散策は、いつのまにか、真夏と言う事をも忘れさせ、暑さからは、しばしのあいだ開放される場所です。
緑の湿原に鮮やかに映える黄色のハンカイソウ
三俣山(みまたやま)、指山(さしやま)を背景に優雅な佇まいのノハナショウブ
涼を求めて 山里の朝
緑も鮮やかな田んぼを吹き抜ける風はヒンヤリ爽やか・・・・・・
標高800mの山里の朝は、真夏とは言え爽やかで、思わずそこここを歩いてみたいと言う気にもなります。
あたり一面に水を張った田んぼ、若い稲も色鮮やかに、吹き抜けるヒンヤリした風を心地よくうけての朝の散歩です。
行き当たりバッタリの散歩道、しばらく歩いていると、最近出来たばかりの、かの有名な”夢”大吊橋が見えてきました。近くまで行くと、橋の前に、道路を挟んでりっぱな御殿が建っています。どうやら、所有の土地が掛かった橋成金さまのお宅のようです。母屋の脇には喫茶店も・・・・・
朝6時前と言うのに、もう何やら仕事らしき事をやってます。働き者の家主さんのようです。朝の挨拶の後、二言三言ことばを交わし情報収集!
ここでUタ-ン、今度はハデハデのム-ム-を着た美女に出会いました。山里とは言えスナックは有るようです。
普段の生活と環境の異なる地域での、あての無い散歩は心を和ませてくれ、下界の酷暑をも忘れさせるひと時です。
”夢”大吊橋が見えてきた朝の散歩道
りっぱな御殿は橋成金さまのお屋敷? 喫茶店も・・・・・
派手な衣装の美女との遭遇、山里のスナックのママさんの様で・・・・・
涼を求めて 只今の気温26度
只今の気温26度を指しているのは、九重黒岳登山道の途中に設置されている温度計の指針です。
北九州では35度も有ろうかと言うほどの酷暑なのに、ここでは約10度も低い気温です。ここは数少ないブナの原生林が存在する事でも有名です。
ほかに九重連山からの伏流水が湧き出ている男池への道にも通じ、この原生林に足を踏み入れた時から、真夏の酷暑とは縁が切れます。
男池から湧き出る湧水は夏でもなお冷たく、そのまま飲用してもよし、容器持参でわざわざ汲みに来る人が絶えません。コ-ヒ-に、ウイスキ-の水割りに、他にもいろんな用途で使われているようです。
この日はおにぎり持参で、この涼しい中、食欲も湧いてきますが、大好物のアレが飲めないのが残念でなりません。アレ?言わずと知れたアブクの出るやつ・・・・
それでも、それに勝るご馳走は、なんと言っても、このメッチャ涼しい環境です。
大きな岩をも鷲づかみにしている、ブナの大木の根っこ!
男池(おいけ) 水汲みの人は後が絶えません。
流れ出る水は水量も豊富で、足を漬けると指が切れそうなくらい、その位冷たく感じます。
涼を求めて 慈恩の滝
極地的集中豪雨で増水した滝の水は、ダイナミックに滝つぼめがけて・・・・
酷暑の続く我が町から涼を求めて・・・・・・
どこか近場で涼しいところは無いか、涼を求めて、つかの間の脱出工作を試みました。
大分県の天ヶ瀬と玖珠町の境に「慈恩の滝」が有るのは知っていましたが、何時もは横目で見て通り過ごしていました。
この際一度徹底取材?とばかりに、見学コ-スを辿って見る事にしました。車を降りたとたんに真夏の強い日差しが照りつけ、一瞬たじろぐ思いをしましたが、滝に近づくにつれて、心地よい涼風を感じ、間近まで近寄ると飛散する滝しぶきと共に涼気が身体全体を包んでくれます。
別名「裏見の滝」とも呼ばれているこの滝の裏側にでも入ろうものなら、さらに涼しさが体感でき、真夏とは思えない環境です。水のカ-テンで遮断されていて、まさに酷暑の世界とはもう別世界、この世の極楽です。
独り占めは勿体無い・・・・・ この涼感をせめて写真でお裾分け・・・・・
裏見の滝 滝の裏側から水のカ-テンに透かして表の景色が見えます。
滝の裏にまわると別世界、この世の極楽です。
落差の有る滝の水は、しぶきをあげて滝つぼめがけて激突します
伝説では、竜も宿ると言う、2段構えの美しい姿の慈恩の滝
あそびごころ
暑中見舞いと共に、珍しい橋の写真が送られて来て、一服の涼に浸されているところです。
ときおり、情報提供してくれる京都特派員が、暇つぶしに琵琶湖西岸を車で走った際に、目に留まった物らしく、湖面に木造の太鼓橋がジグザグに架かってます。
実用優先と言うよりは、むしろ見て楽しむ、いわゆる遊び心で作られたもののようです。
どうやらこの辺り一体が環境保護地区のようで、観光目玉と言うよりは、街づくりの一部のようで、地域住民のくらしに溶け込んでいるものの様です。
それにしても優雅と言うか、遊び心いっぱいの風景です。
JR湖西線 勝野駅付近 乙女ケ池に架けられたジグザグの太鼓橋
思い出の苦渋2007
雨の中、岩場の陰に可憐な一株を見つけました。法華院より北千里へ 2007.6.14
この年(2007)も牧ノ戸登山口から登り始めた頃からポツリポツリとやってきました。
梅雨の時季、この頃でないとミヤマキリシマは咲き始めません。今年も(2007)雨を覚悟でやって来ましたが、駐車場に着いた頃はまだ、降り出していませんでした。
沓掛山にさしかかろうかと言う時には、風が強く砂塵を巻き上げ、おまけに雨足も強くなってきました。
扇ケ鼻に差し掛かった頃には、雨も風も強さを増し、花見どころでは有りません。写真撮りもそこそこで・・・・・
昼の弁当も風除けになる岩陰を見つけ、かろうじて携帯食料をかじる程度で済ませ、また、雨の中の行軍です。途中の避難所ではビショビショの靴下を絞って・・・・・
やっと法華院温泉山荘にたどり着いたのですが、この日は雨と言う事もあって、シ-ズンで有りながら、がら空きです。
ゆっくり温泉に浸かり、冷え切った身体を暖めます。地獄に仏とはまさにこの事です。
次の日もやっぱり雨・・・・・・
急峻な山道の、平治岳のミヤマキリシマは諦め、もう一度扇ケ鼻に立ち寄る事にしました。
法華院温泉からゴツゴツとした岩場を乗り切った所に、やっと可憐なミヤマキリシマを発見した時には、思わず息を吐きました。
昨日には見れなかった花も、復路、風が収まった扇ケ鼻では、ゆっくり堪能する事が出来、やっぱり来てよかった・・・・・・
2年連続の苦汁と苦渋登山、どうしてこんなにしてまで?自分でもなぜ?これは山の七不思議とでもしておきましょう。
沓掛山から見下ろせば、山は雨雲に覆われています 2007.6.13.
扇ケ鼻のミヤマキリシマ、強い風雨で写真もそこそこ・・・2007.6.13.
法華院までは積まれたケルンを頼ってひたすら雨の行軍! 2007.6.13.
この岩場を降りれば、あったか~い温泉が待ってます。 2007.6.13.
シ-ズン中でも、雨でガラガラの法華院温泉山荘 2007.6.13.
帰路、立ち寄った扇ケ鼻は見事でした。あたり一面独り占め・・・・・2007.6.14.
思い出の苦汁2006
山頂付近はすごい雨風、ミヤマキリシマも雨に煙っています 2006.6.8.撮影
この年は昼から雨の予報が出ていたにも関わらず、平治岳登山を決行しました。
長者原には早朝到着、雨ケ池越えで坊がつるに着いた頃にはまだ降り出していませんでした。大丈夫このまま行けるとの思いで、そのまま平治岳へと向かいました。
案の定、途中まで登った所で、ポツポツ降り始めました。もうここまで来たのだから、せめてミヤマキリシマは見て来ようと、さらに歩を進めました。ところが、山頂近くはすごい風が吹き荒れています。雨も一段と強くなり・・・・・
必死の思いで、山頂近くまで行っては見たものの、花はあまりパ~っとしません。
写真一枚撮るのも至難の業・・・・・強い雨風でカメラはグショグショ・・・・・
やっとの思いで下山して、法華院山荘にたどり着き、濡れた衣類を取り替えようと思い、ザックを開けたら中まで水浸し・・・・・
安易に、防水措置を怠ったのです。Hikoさんが何とした事か・・・・・後の祭りです。有り合わせで何とか急場を凌いで・・・・・
しかし、山荘では、いい出会いも有りました。
次の日も雨・・・・・・
今年は(2006)往きも帰りもついていない。昨年の良かった分を帳消しにされたような、さしずめ苦汁登山を強いられました。
しかしながら、思い出としては確かな物として残っており、山荘で出会った山友達とも今でもメ-ルでのコンタクトは続いています。
強い雨と風の中、やっとミヤマキリシマに出会いました。 2006.6.8.
上に上がるにつれさらに強まる風雨・・・・2006.6.8.
帰路、すがもりの鐘も霧に包まれています 2006.6.9.
早めの昼食は、すがもり峠の休憩所で(開口口が大きく採って有って避難所の役目は果たしてない、無謀ともいえる設計は、山を知らないお役所さまとか・・・・・バカバカしい・・・)この日も中は水浸し・・・2006.8.9.
途中で出会ったシルバ-軍団、格好だけは若いもんと見分けがつかない
すがもり峠より下山中 2006.8.9.
思い出の九重2005
2005年、平治岳山頂付近のミヤマキリシマ
ついてる時はすべてにおいてついています。 昨年(2004)のミヤマキリシマ不作の翌年、2005年は台風予報が見事にはずれ、登山者も少なめで、法華院山荘宿泊でしたが、この日はシ-ズンで有りながら貸切状態でした。
花は10年振りと言うくらいの、近年ではまれの花つきのよさで、扇ケ鼻の花も素晴らしく、平治岳山頂付近ではスゴイ咲きっぷりでした。
この年のル-トは、牧の戸より、扇ケ鼻のミヤマキリシマを堪能して、久住山を横目に見て、中岳(九州本土最高峰)を極め、そのまま法華院へ、ここで宿泊です。
次の日も好天に恵まれ、早朝より平治岳へ登り、すごい咲きっぷりのミヤマキリシマを、ため息の出る思いで楽しんで、法華院へ戻って弁当を食べました。
帰りは同じ様なル-トですが、ここは北千里ケ浜経由で久住分かれまで、そして来た道に合流・・・・・
ふたたびあのお花の山扇ケ鼻の花を見て・・・・・・・
2005年はまさに当たり年でした。
2005年平治岳のミヤマキリシマ
2005年 全山ピンクに染まった九重の山
帰路、西千里が浜より扇ケ鼻へ・・・・・
扇ケ鼻のミヤマキリシマ 2005.6.撮影
思い出の九重2004
九重でもミヤマキリシマが一番多いと言われている平治岳ですらパラパラ・・・2004.6.撮影
九重のミヤマキリシマの咲く条件は、その年の天候と虫の発生によって左右されます。
2004年、この年は一番の群落を有する平治岳(ひじだけ)ですらパラパラしか咲いてません。
どうやら、蕾が出来る頃に急激な寒気の襲来で蕾自体に大きなダメ-ジを受けた様です。
ついてない年は、ついてないものです。次の日は悪天候ときました。4年前ですのでHikoさんもまだ元気バリバリだったと見え、この悪天候の中、久住登山を決行しているではありませんか。
写真を見ていても、なんで?こんな時に登ったんだろうと、我ながら不思議です。とうぜん視界は悪いに決まってます。
その訳は・・・そこに久住山が有ったから登ったのかも知れませんね~ ![]()
久住山頂は小雨、あたり一面のガスで視界悪し・・・・・ 2004.6.撮影
思い出の九重
花の山で岩に腰かけ三俣山を見ながら・・・・・2003.6.撮影
ミヤマキリシマの 時季になると、毎年九重に訪れてその写真集を作っていますが、今年もようやく作り終えて、ホッとしているところです。
この際、改めて過去数年分の九重行きの写真を見てみましたが、その年その年で色んなドラマがあります。
上の写真は一度このブログにも掲載した事が有ると思いますが、2003.6.撮影の物です。
こうして改めて見返してみると、そのときその時の状況がよみがえってきます。穏やかな登山日和、岩に腰を下ろした登山者は、この時なにをしていたか? 実はザックからバナナを取り出して食べ始めたところでした。
それがこうして写真にしてみると、三俣山を眺め、もの思いにふけってるようにも見えるから面白い・・・・・
次の日は天気は一転、小雨降る風の強い日になり、すがもり峠へ向かう途中の岩場では、ル-ト標示の黄色い印を見失わないよう、首をすくめながら歩いたのを思い出します。
こうして見ると、鼻歌交じりの平凡な登山よりは、少しばかり苦汁を舐めた時のほうが、思い出深いようにも感じます。
そうしてみると、今年の九重は? 苦汁は舐めずに済みましたが、しかし思いではそれなりに・・・・・
山の天気は変わりやすい 楽有れば苦あり さしずめ苦汁登山でした。2003.6.
山里の温泉場
山里の温泉場の佇まい
浴槽は二層に別れ、それぞれ温度が異なり、交互に入るといいそうです・・・
おっきな看板が目印です。
何度か立ち寄ったことの有る温泉場ですが、泉質が以前の物と変わっているようです。
ここの主(あるじ)に聞いてみると、やっぱり!・・・・・
前は、熱めの鉄分を含む単純泉のようでしたが、今回入った時に感じたのは、湯はわりあいぬるめで、皮膚に纏わりつく様に細かい泡が付着します。
これがCO2 つまり炭酸ガスです。この成分を含む事により、ジワッ~と身体の芯まで暖まり、湯ざめしにくいと言う事です。
泉源が変わった訳は主人ご本人も首をかしげ、何故だか判らないそうです。
揚水パイプが詰まってお湯の出が悪くなったので、掃除をして、そのパイプを入れたところ泉質が変わっていたと、なんとも不思議な話です。
主曰くは、掃除するのに長い日にちを要したので、その間に地震か何かで水脈が変わったかもしれない?・・・・・と・・・・
ここは九重、筌ノ口温泉の近くの小規模な温泉場ですが、素泊まりも出来るように、自炊場も完備されなかなかいい感じです。
九重の山のぼりの時など、ここをベ-スに、あちこち回るのもいいかも知れませんね~
素泊まり客が自炊できるように、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジなど完備しています。
九重高原の可憐な植物たち
自己主張しているかのように咲き誇っているミヤマキリシマ
九重と言えば真っ先に浮かぶのがミヤマキリシマ。このミヤマキリシマの咲く時季に競い合って自己表現している高山植物が九重には生息しています。
イワカガミ、マイズルソウ、ハルリンドウ、ド-ダンツツジなどなどです。
本日は、花屋には似ても似つかわしくないHikoさんが、案内役です。
ここで、花屋の○○さんと□□さんには失礼して・・・・・
まずイワカカミさんの登場です。扇ケ鼻付近でも見かけましたが、これは久住から下りて来たところで出会いました。ふもとではお目にかかれない凛とした小振りの花です。
次なる登場はマイズルソウ・・・・・
扇ケ鼻付近に居ました。クマザサのそばで遠慮がちにさいて居ました。
このマイズルシウと同居している様に咲いているのが、ハルリンドウ・・・・・
ド-ダンツツジは立派な大株主ですが、花はやや控えめで地味です。
やっぱりなんと言っても、ここ九重での主役はミヤマキリシマでしょう。
この様にあるきながらいろんな高山の花と出会い、花屋ならずとも自然に花と親しめます。
立ち姿も凛としたイワカガミ
白い小さなコンペイトウのような可憐なマイズルソウの花
マイズルソウと同居しているハルリンドウ
大株のド-ダンツツジ(サラサド-ダン)は地味に
主役のミヤマキリシマも扇ケ鼻では、今年はやや控えめでした
旅の余韻
食堂で歓談の後、帰り支度しても・・・・・(オ-ナ-のご子息と昨日の女の子)
九重登山の余韻を残しながら、山里での一泊、次の朝、自炊食堂で遠方から見えたらしい母娘さん客との突然の出会いがありました。
お先に、宿提供の朝食をされている時に、Hikoさん夫婦が向い合わせの席に着き、ドラマの始まりです。
当然こちらは自炊組みですので、持参の食材を広げて朝食の準備から・・・・・
じつは、家内は夕べのうちにお風呂での、女同士の交流があったらしく、下ごしらえはちゃんと出来ていたようですが・・・・・
どうやら、たまの里帰りの娘さんの親孝行で、在住の関東より、ネット検索によりわざわざこの温泉場へ来られたようです。
食事をしながらの会話は弾み、あっと言う間に小一時間は経ってしまい、つかの間の親交もタイムアップ!もうお別れです。
帰る支度もそこそこ、外で、オ-ナ-親子との記念写真も撮って・・・・・
お別れの時が来ました。「車内からのバ~イバ~イ」の大きな声と共に車は一足先に走り去って行きました。
突然の出会い、親交、そして別れ、また偶然逢えそうな予感を残して・・・・・・・・・・・
「バ~イバ~~イ」・・・印象的です。
あっと言う間の短いドラマでしたが、楽しいひと時の余韻を今も引いています。
「バ~イバ~イ」の大声と共に車は走り去りました・・・・・
山里の子
九重登山の途中、山里の、とある温泉場に立ち寄り、素泊まりして次の日の朝のことです。
清清しい空気を腹いっぱい吸い込んで、ふと気が付いたらチッチャな女の子が一人ポツンと立っています。「おはよ~」と声をかけると「オハヨ~」とやや小さな声が返ってきました。
顔も身体も固まっています。今度は、「何才?」と尋ねると、親指だけを折り曲げて手をかざして見せました。4歳です。
「お名前は」・・・・・などの会話のうち、少しずつ表情が和らぎ始めました。
ミヤマキリシマの登山シ-ズンを迎え、この温泉場も登山客の入湯で忙しいようです。この小さな女の子はどうやら、嫁いだ娘さんが手伝いに来ていて、一緒に付いて来ていたようです。
同じくらいの年頃のお友達もまだ居ないようで、Hikoさんとしばし会話の後は、小走りで飼ってあるワン公の所に駆け寄ってなにやら話しかけているみたいです。
のんびりした山里でのひと時、幼い女の子の愛らしさが印象的です。
続・九重の山景色
扇ケ鼻から見た天狗ケ城(左) 中岳(中) 久住山(右)
扇ケ鼻に着いた頃には澄み切った空気の下、その山頂からの展望は素晴らしく、九重の連なる山々のパノラマを満喫して、時間の余裕と残る体力を考慮しても、この好条件下、引き返す手はないとの判断! ここは久住山アタックと意を決した瞬間です。幸い予備の水、食料も持って来ている事だし・・・・・
やっぱり・・・・・山の天気は娘心、変わりやすい。久住に向け歩き始めた頃から、空もやや透明感が薄れ、うっすらと、もやが掛かり始めましたが、大勢には影響なし。
大勢の登山客と共に久住山を目指しました。明日から天候が下り坂との情報からか、この日は一気に押し寄せた感さえあり、すごい人出です。おまけに海を隔てたお隣の国からのお客さんも大勢で、交わす言葉は、Hikoさんが「コンチハ~」と言えば「アニヨンハセヨ~」?と返ってきます。九重も国際的になったものだと思いながら・・・・・
Hikoさんは、ここ久住山には何度となく登っていますが、この時期、大体天気が悪く、ガスが掛かって展望がきかない時が多いのですが、この日はまれな好天に恵まれ、眼下の山々もしっかりと見ることが出来ました。
山頂からの展望は、先ほど見た扇ケ鼻からのパノラマとまではいかないまでも、まずまずの眺めで、ここは良しとすべきでしょう。
ここでチョットしたハプニング? 記念にと写真を撮ろうとすると、「久住山」の表示柱の前にはすごい人だかり・・・・・あたかも運動会での棒倒しの光景です。これには驚き、数分待ってやっとの思いで一枚撮る事が出来たと言う、なんとも、今まで経験した事がない出来事です。
やや霞んだ中に、うっすらと大船山が確認でき、すぐ傍にはミヤマキリシマ群落の平治岳をイメ-ジして、今回は断念した平治登山に思いを馳せながら・・・情報では平治岳の花付きは良かったらしい・・・残念![]()
気を取り直して、今来た道をひたすら歩く、西千里が浜では、刈り込まれたような草原で寝転がって腰を伸ばし、またひたすら来た道をテクテク歩け歩け・・・・・
今回は天気も良く、お散歩登山にチョット辛子をきかせたような、九重を満喫できた楽しい山歩きでした。
皆で登ればきつくない 大勢の後から久住へ向けあるけあるけ・・・・・
眼下の硫黄山・・・・
中岳(左) うっすらと大船山(中) 白口岳(右) 人はまるで蟻の行列・・・
九重の山景色
二つのピ-クを持つ由布岳の眺望
九重牧の戸峠に広い駐車場があり、その直ぐ脇に久住山への登山口が有ります。今回の登山の目的は久住に登る途中に有る、扇ケ鼻のミヤマキリシマを鑑賞する事に有ります。
扇ケ鼻までの工程は、登山初心者でもラクラク行けると言う、言わば九重のお散歩コ-スみたいなものです。
お散歩コ-スとは言うものの、やはりここは九州本土での最高峰をも有する大きな山の事、かなりの起伏は覚悟をしなければ痛い目に遭います。ちゃんとした登山装備でのお散歩です。
舗装された最初の急斜面を上ると展望台に出ますが、さらに進むと上の写真のような風景が待ちかまえています。二つのピ-クは由布岳です。この様な見え方は親孝行者しか見ることの出来ない、まれな好条件での遠望です。
Hikoさんもここ数年毎年訪れていますが、この様な条件に恵まれたのは初めての事です。
この時季、梅雨の影響も有って、大体曇りか雨の日が多いのです。この日は薄曇、風は無く、気温やや低め、絶好の登山日和であります。
扇ケ鼻間近になるころ、由布岳とは反対側に阿蘇連山の勇姿が見えてきます。この連なりは、あたかもお釈迦様の寝姿に見えることから、阿蘇の涅槃像としても有名です。
まもなく扇ケ鼻です。間近に見える涌蓋山(1499.5m)を背景にド-ダンツツジや鮮やかなミヤマキリシマがHikoさんを待っています。
今年は昨年に比べると花付きは今一でしたが、それをも上回る山々の景色は素晴らしく、感嘆、ため息の連続・・・・・
花は少な目ですが、昨年の苦汁登山に比べるとまさに雲泥の違いです。
雄大な阿蘇連山はあたかも涅槃像のごとし・・・
涌蓋山を背景にド-ダンツツジも開花時季を迎えました。
九重ミヤマキリシマ登山2008
澄み切った空気の中、一段と色鮮やかなミヤマキリシマ 背景の山々もクッキリ・・・
恒例の九重ミヤマキリシマ登山のシ-ズンを迎え、Hikoさんは居ても立ってもおられず、天気とにらめっこで仕事をこなし、今年もやって来ました。
昨年の足のアクシデントの事も考慮に入れて、無理のないコ-スを採ったつもりでしたが、山に来てしまえば、やっぱり欲が出てしまいます。
予定では、前日に仕事を終えた足で、九重、牧の戸まで駒を進め、その場所で夕食を済ませ、仮眠、翌朝より行動を起こすと言う段取りだったのが・・・・・・
何処をどう取り違えたか?途中、日も暮れかかった頃、仕事の疲れを癒すべく、入浴だけのつもりで立ち寄った温泉宿に素泊し、早朝6時前に、牧の戸駐車場に着いた頃は、もう留める場所はほとんど満杯・・・・・
やっとの思いで駐車出来て、7時頃より登山開始・・・・・
今回は、今までに経験したことのない好条件下の登山でした。天候はくもり、風弱く、昨夜来の雨でしょうか?空気は澄み切って遠望が利くという、まさにこれ以上はないと言う好条件でした。
ゆっくり登山で、目的の扇ケ鼻到着は午前9時チョット前・・・・・
期待していた肝心のミヤマキリシマの咲き具合はと言えば、少しばかり失望でした。なぜならば・・・・・
事前情報では、昨年よりは花付きが良いとの事でしたが、あにはからんや昨年には及ばず、時季もやや早かったようです。あと、一週間後が見頃でしょう。
花は残念でしたが、捨てる神有らば拾う神あり? 好条件のもとの扇ケ鼻の山頂からの眺望は素晴らしく、花のことはしばし忘れて360度のパノラマに酔いしれる程です。
予定では、ここからUタ-ンでしたが、時間の余裕と体力との相談で、久住アタックをも試み、欲張り登山になったと言う・・・・・
人は何時も慾は捨てきれないものです。足?アッ!忘れていました!大丈夫でした・・・・・・・ ![]()
おまけに素晴しい出会いもあって、久々にいい山行きを楽しんだ感ありです。
登山客もしばし感嘆のため息・・・・・
阿蘇連山が織り成す涅槃像も悠然と横たわっています。
松下村塾
クラス会萩の旅のコ-スには、勿論松蔭神社も含まれ、その敷地内に当時のまま保存されている、松下村塾も見学する事が出来ます。吉田松陰が身分の隔てなく講義を行ったと言うこの塾の事を、少しばかり勉強して参りました。
この雨の中、観光客の足も途絶えることなく、勉学に勤しむべく?この地を訪れているのが印象的です。
松下村塾については、Hikoさんがとやかく言うよりは、ここは知識人にお任せした方がよろしいかと思い、引用する事にしました。以下引用です。
萩城下の松本村(現在の萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立したのが松下村塾のはじまり。
松陰は1855年(安政2年)に、実家である杉家に蟄居する事になり、杉家の母屋を増築して、引き継ぐ形で松下村塾を主宰、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れた。
松陰が塾生達の指導に当たったのは僅か2年余りにしかすぎなかったが、松陰の指導・薫陶を受けた松下村塾門下生達は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たす。
表にかけられた、木製の大きな表札(看板)小首をかしげながら・・・・・古びた壁板が時代を物語っています。
塾の内部、近代Japan建国の士が学んだ場所
すぐ脇に架けて有る説明文
雨にもかかわらず、観光客は次々訪れています。(側面部分)
鯉も雨宿り?
雨の日、萩では鯉も雨宿りするらしい・・・・・?
萩市内の散策コ-スに流れる小川に色とりどりの鯉が放流されていて、観光客の目を楽しませてくれます。中にはメタボ鯉も含まれ話題を呼ぶと言う・・・・・
この日はあいにくの雨模様で、傘を片手の散策を余儀なくされました。
この川の中ほどに木製の屋根らしき物が作って有るのが目にとまり、何の為の屋根だか一瞬考えましたが、誰かが「鯉も雨宿りしてる・・・・・」と一言![]()
冗談にも程がある! ジョ-クもここまで来れば、そこら辺りのお笑い芸人さんのギャグよりは受けそうです。
水の中に居る鯉に雨宿りの必要な訳がありません。
多分、夏の強い日差しから身を守るための日よけではないかと考えられますが、真意の程は、はて?
しかし、見方によっては、雨の日に軒下が恋しいのは人間様だけでは無いかも知れません。皆が傘をさしているのを水の中から見ていて、つい、自分も鯉であることを忘れて雨宿りをしたのかも知れませんね~ ![]()
人が鯉を見ているのやら、鯉が人を見ているのやら・・・・・





























































































































































































































































































































































































