« どんど焼き2015 | トップページ | ピ-カンの学研都市 »

遺 作

Dsc_1602t_01                アザミの詠(春)6号

                Nikon D600・ AF NIKKOR 24-50


 この1枚の日本画、制作者は笠 青峰画伯です。(笠 青峰画伯をクリックしてください)

 この絵がHikoさんの手元にあると言う経緯は、彼がまだ若い頃、新築したばかりの福岡のアトリエの床から直に壁に無造作に立てかけられていた数枚の絵の中の一枚でした!

 笠画伯は、実は、華道「しんせい流」の家元の跡取り息子として生まれたものの、若い頃から絵の道に入り、家元である父親との確執から、生け花の道を捨てて絵の道一本で今日までの名声を築きあげられました。

 Hikoさんの彼との出会いは古く、生け花時代の師であり、またある意味では親しい友人でもありました。

 その彼が昨年病に倒れ、訃報が今日届きました!

 ご子息による、年賀状の返信からその事実を知った訳で有りますが、かなりのショックを隠しきれないHikoさんです!

 彼は拠点を福岡から、環境の好い湯布院へ移して精力的に活動しておられ、Hikoさんにも再三アトリエへ遊びに来るよう言われていましたが、そのうち、そのうちにと思いながら、今年こそはと思っていた矢先の事でした。

 若い時分に、北九州の小倉の街や、福岡の中州の飲み屋街を友人とともに飲み歩いた懐かしい思い出、彼は絵を制作する傍ら、アトリエを開放して音楽会等も開催して、交流の場を設け、精力的に活動しておられました。

 当時、ドイツのゲヴァントハウス管弦楽団のコンサ-トマスタ-であるゲルハルト・ボッセ氏が来日の際、彼を招いて室内楽を開催するなど、写真のアザミの絵はボッセ氏の依頼で書かれたドイツアザミと同じモチ-フであり、背景の楽譜はアトリエに飾ってあった、世界で50枚しかないと言われている500年前のグレゴリアン譜で、画伯もこの絵は大変気に入っておられたようで、Hikoさんに冗談で買い戻したいなんて言っておられた事も記憶しています。

 Hikoさんの手元には、笠画伯の絵は、ほかに日本画が1枚と次男が生まれたときに、お祝いにと、書いて下さった色紙が有りますが、これらは残念ながら遺作となってしまいました!

 

 

 

 

« どんど焼き2015 | トップページ | ピ-カンの学研都市 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

Hikoさま
 人の命のはかなさを思います
 心から、ご冥福をお祈り致します
 何を残せるか?考えてしまいます

この記事へのコメントは終了しました。

« どんど焼き2015 | トップページ | ピ-カンの学研都市 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

最近のトラックバック

  • がめ煮 (君は今日からCOOK☆スター!)
無料ブログはココログ