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魁 皇

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 幕内通算808勝(単独第一位)を果たし、なお記録更新中の、直方市出身力士、大関魁皇の福岡県栄誉賞・直方特別市民栄誉賞受賞式が、地元大型店で行われました。

 丁度、この日はHikoさんもこの近くを歩いていましたが、この情報を知らずして、残念ながら、立ち会うことは出来ませんでしたが、近くの友人が画像を提供してくれました。

 近くを歩いていた際に、虫の知らせ?でチョット別の目的で寄って見ようか?とも想ったのですが、その日は風が冷たく、結局、立ち寄ることなく、真っ直ぐに家を目指しました。

 もし、これが、少しでも暖かい日であったならば、Hikoさんもこの現場に居合わせたものを・・・・

 返す返すも残念です。

 で、画像の送り主の喜びに溢れた?コメントを紹介致します。

きょうの午後、知事・市長より魁皇の受彰式が明治屋産業であり、散歩がてら
僕も任意出席しました。

 凄い人出でした、遠くからデジカメのスナップで、一駒報告に送ります。

改めて、ネット引用で魁皇を紹介します。

のちの横綱、若乃花・貴乃花兄弟及び曙とともに1988年3月に初土俵。貴乃花と同い年であるが誕生日は魁皇の方が19日早い。

大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、横綱候補の1番手だった時期もあった。2004年9月場所に5回目の優勝を遂げ、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まり、翌11月場所は準優勝でも横綱昇進の気運が高まっていた。しかし12日目に3敗を喫し、優勝争いから脱落したことが災いして結局昇進は見送られた。翌場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。

2005年以降、引退の危機を迎えたのも一度や二度のことではない。

2005年1月場所から2006年3月場所までは、途中休場により翌場所大関角番・角番脱出の繰り返しが続き、大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。特に9回目の角番となった2006年3月場所には、序盤から本来の相撲が取れず、負けが先行すると引退を示唆して、師匠の友綱と相談し負け越したら引退する決意を固めた。しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。

2006年5月場所以降、千秋楽まで皆勤の出場場所は増えてはいるが、成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態である。

2007年9月場所4日目の安馬(のち日馬富士)戦で、幕内通算706勝を達成。この記録は元横綱武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、現役の力士としてももちろんダントツの記録である。しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場。11月場所は、2006年同様再起をかける場所となったが、14日目で勝ち越して11度目の角番を脱出、引退の危機から免れた。勝ち越しが決まった瞬間には、観客はその日の結びの一番よりも大きな声援を魁皇に送った。

2008年11月場所前、大関琴欧洲との稽古で右足を痛め、休場が濃厚だったが強行出場。しかし、3日目、幕内若の里との取組み中に左腕まで痛めてしまい途中休場、翌2009年1月場所は千代大海と並んで1位タイとなる、12度目の大関角番となった。進退を賭けて場所入りし、12日目に前頭3枚目豪風を破って角番脱出、同時に引退危機も乗り越えた。その後3連敗したため場所を8勝7敗で終えた。その場所直後、虫垂炎で緊急入院。手術はせず薬で治療したが、協会の公式行事は休場した。

2009年11月場所で幕内在位が98場所となり、元関脇高見山の97場所を超える大相撲史上第1位の記録を達成。同場所の3日目把瑠都を破って史上3人目の通算800勝を果たし、九重親方(元横綱千代の富士)は「私の幕内807勝(史上1位)を超えて欲しい」とコメント。さらに同場所10日目、琴欧洲を押し倒しての勝利で幕内805勝を達成、北の湖親方(元横綱北の湖)の804勝を超えて、幕内勝利数が単独第2位の記録となった。この年は2005年以降では最多となる年間48勝を記録した(2005年が39勝、2006年が40勝、2007年が44勝、2008年が43勝)。なおこの年はすべての場所で8勝7敗という記録も達成した。

2010年1月場所の2日目に豪栄道に勝ち、19年ぶりに千代の富士の持つ幕内通算白星807勝に並んだが、この一番は魁皇得意の左四つ右上手だった。 そして3日目には、奇しくも九重親方の愛弟子でかつ長年共に大関として支えあった千代大海(当時関脇)に対し、豪快な送り投げで勝利。ついに幕内通算808勝となり、史上単独1位になった。なお、この千代大海戦が幕内通算54回目の取組となり、史上2位の記録であったが(対戦成績は魁皇の34勝20敗。幕内対戦の史上1位は武蔵丸対貴ノ浪の58回)、この一番で千代大海は現役最後の相撲となり、翌4日目に引退を表明した。また13日目には、2006年3月場所以来23場所ぶりに横綱白鵬を破り、白鵬戦での連敗を17で止めて(日馬富士戦の連敗も止めている)、さらに14日目には稀勢の里を上手投げで破って勝ち越し。そして千秋楽でも垣添を送り倒しで勝利、8場所ぶりの9勝6敗で終えた。

初土俵以来20年以上に渡る現役生活、また2000年9月に大関に昇進して以来、9年以上に渡り関脇に一度も陥落する事無く大関の座を守り続けているなど、自身の年齢や若手力士との戦いに対しては大変定評がある。また2007年9月場所の番付において、35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新。さらに2008年7月場所中には36歳の誕生日を迎え、横綱として35歳11ヶ月で引退した千代の富士の大関以上の最高齢記録をも超えた。そして2009年7月場所中に37歳となった。

1999年に結婚、子供はいない。5歳年上の妻・充子は元タレントだが、タレントになる以前はプロレスラーであった。そのためか、女子プロレス関係者の中にもファンを有する。

また現役力士の中では、現幕内の高見盛を凌ぐほどの、相変わらず人気の高い力士の一人である。福岡県出身だけに、福岡市で開催される九州場所での館内での声援は絶大で、対戦相手は「魁皇関にとってはホームゲーム、こちらはアウェーゲームみたいなものだ」と思うようである(現に青森県出身の音羽山親方(元大関貴ノ浪)がこのような発言をした)。2008年8月のモンゴル場所では、現横綱の朝青龍や白鵬らモンゴル出身力士以上の大人気ぶりだった。

Kaio

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コメント

Tonoさま
コメント有難うございます。
魁皇は直方の誇りです!
隣町のHikoさんも身近に感じます。
この写真は、Samuraiさまの送りものでした。

ああ~!!
思い出した このシーン
地元のファンとしては、出来るだけ長く現役を
続けてほしいと思います。
そして記録をどんどん伸ばしてほしい
心から応援します。一ファン

この記事へのコメントは終了しました。

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